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自然屈伏の道

私たちは、武器をもって伝道するのではなく、愛をもって伝道するのです。 アベルが愛によってカインを救う勝利の基台を通して、偽りの愛によって占領されたものを真の愛によって復帰しなければなりません。

そうしてこそ、衝突することのない本然の世界に帰っていけるのです。 他の手段や方法を通してすれば、再びサタンがあらゆる手段や方法をもって出てくるのです。
イエス様は、死の道の上でも、生命が途切れる最後の瞬間までも、愛の道理を立ててきました。完全なカインの救いの道理を立てられなかったので、カインの救いの道理の門を開くことのできる道を、 死を通して見せてくれたのです。(天一国経典『天聖経』第九篇 第三章 第五節 21 )

神様が願う観点に立脚して生きた人がどれほどいるでしょうか。時には、個人的に感情を害し、食口に対して鬱憤を晴らしながら、言いたいことをすべて言う人を見かけます。

兄弟関係において先に出てきた人が、カインの立場にいることを知らなければなりません。アベルになるためには、カインを救っておかなければならないのです。 カインを救っておかなければ、アベルになれません。復帰された長子の立場になれないのです。 そのアベルは、復帰された長子の立場です。 結局は、長子の位置にいるのです。

そのようにするためには、世の中にいるカイン、すなわちサタン側にいるその兄を復帰しなければならないのです。 復帰するのですが、 無理やりたたいて復帰するのではなく、自然屈伏させなければなりません。

新しい世界観を見せてあげ、新しい国家観、新しい生活観、新しい未来観、新しい人格観、新しい血統、新しい心情を見せてあげなければなりません。 何か違う姿を見せてあげなければならないというのです。(天一国経典「天聖経』第九篇 第三章 第六節 156)

神様は、宇宙を創造されるとき、絶対信仰をもって造られました。さらに、神様は私たち人間を愛の絶対的パートナーとして造られました。 絶対従順とは、自分自身までもすべてなくして、完全投入することを意味します。

このように投入して忘れ、投入して忘れて、最終的に自分という概念さえすべてなくなる零点に進入するのです。 神様は、信仰もすべて注いだので、残ったものは零点であり、愛もすべて注いだので零点であり、純情もすべて注いだので零点です。

しかし、神様の真の愛は投入するほど大きくなるのです。私たちはこのような神様に似なければなりません。 愛を否定されても、さらに愛し、投入しても、もっと投入してこそ、怨讐を真の愛で自然屈伏させる位置まで進むようになるのです。 神様がそのような道を歩んでこられたのであり、天地父母がそのような道を歩んできたのです。

投入して忘れてしまい、投入して忘れてしまうことを続ける人が中心者となり、全体の相続者となり、 孝子の中の孝子となります。 家庭の中でも、祖父、祖母をはじめとして十人の家族が暮らすとしても、最もために生きる人が家庭の中心となるのです。(天一国経典「平和経」 第二篇4)

サタンは霊的な存在なので、直接、霊的に攻撃することもあれば、様々な実体の代理人を立てて攻撃することもあります。 空中の権勢を握る偽りの王であるサタンは、時空を超越し、あらゆる権謀術数で攻撃し、妨害しました。

そのような怨讐に打ち勝つ秘訣はただ一つ、真の愛で与え、自ら犠牲の蕩減条件を立てる道しかないのです。力によるのではなく、真の愛によって怨讐を自然屈伏させることが、神様の原理だからです。

神様を知らず、真理を悟れずに反対する彼らに対して、私は終始一貫して、ために生きてきました。 人知れず迫害者の子女のために愛を投入しました。 反対する国や政権を、むしろ助けながら生きてきました。

今や世界が公認し、反対していた者たちも私を尊敬するまでに至ったのです。私たちはここで、天の戦略とサタンの戦略がいかなるものであるかを学べました。すなわち、天の戦略は先に打たれて得るものであり、サタンの戦略は先に打って失うものなのです。(天一国経典「平和経』第七篇12)

いかなる状況でも愛したという条件と基準を立て、サタン自身が「ああ、本当に神様は神様であられます。 降服します」と告白しない限りは、神様は、完全な勝利を果たすことができません。それが問題なのです。

神様がそのようにサタンを愛することによって屈服させることが、復帰原理的な道であるならば、神様の子女である私たちも、その道を歩まなければなりません。世界的に迫害を受けても、世界的な怨讐圏に立っても、彼らを愛したという条件を立てなければなりません。

このような側面から、悪を自然屈伏させようとする神様の戦法は、 「怨讐を愛せよ!」というものでした。言葉は簡単ですが、今までこれが神様とサタンの間で勝敗を分ける境界線となってきたことを誰も知りませんでした。(天一国経典『平和経』第八篇153)

カイン・アベルが一つになる勝利的基盤が広がることによって、父母がこの地上に臨在できるのです。 父母が現れることによって、私たちが福を受けることができ、天国の新しい出発ができます。

「私」独りではなく、父母に待って天国に入らなければなりません。 統一教会で言えば、既に父母は現れましたが、カイン・アベルの世界的蕩減条件において、祝福家庭の基盤の上に、このようなものができていないというのです。

アベル的家庭の代表が勝利して、天の福を受ける者として町内に行けば、その町内の人たちが涙を流しながらひざまずき、 「世の中は滅びても、 あなたの家庭は福を受けなければならない」と言えなければなりません。 悪の世の中にいる町内の人たちがすべてひざまずき、あがめられる家庭になってこそ、長子の位置に立つのです。(天一国経典『天聖経』第八篇 第三章 第二節17)

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