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家庭は、あふれるほど愛を与え、また与える所です。家庭は、家族を包む囲いであっ愛を閉じ込める所ではありません。かえって家庭の愛は、外にあふれ出て、絶えず流れていかなければなりません。 いくら愛があふれ出ても、家庭の愛は渇くことがありません。神様から受けたものだからです。

神様から与えられた愛は、いくら掘り出しても底が見えない愛、いや、掘れば掘るほどもっと澄んだ泉があふれ出てくる、そのような愛です。 その愛を受けて育った人は、誰でも真の人生を生きることができるのです。(「平和を愛する世界人として』 光言社文庫版、二五〇ページ)

共に暮らす

家庭には、必ず父母がいなければならず、夫婦がいなければならず、 子女がいなければなりません。それだけでなく、周囲には親戚もいなければなりません。家庭には祖父母、父母、自分たち夫婦、息子、娘がみな入っています。

ここで何を中心として一つになるのかというと、言葉を中心として一つになるのではありません。お金を中心として一つになるのではありません。 御飯を食べて暮らすことを中心として一つになるのではありません。

一軒の家に住む家族だからといって、みな一つになるのではありません。 そこにある高低を克服して乗り越え、情を中心として一つにならなければなりません。 愛を中心として一つにならなければならないのです。

家庭は、父母の愛、夫婦の愛、 兄弟の愛、それだけでなく祖父母の愛、孫と孫娘の愛を中心として、縦横と左右全体が和合するのです。 情が核になって全体が一元化されて動く一つの連体的基盤です。 家庭は情を中心としてつくられるのです。(天一国経典『天聖経』第五篇第一章 第一節2)

家庭を見るとき、家屋が良く、その周囲の環境が良いといって、良いわけではありません。
反対に、いくら環境が悪くて家がみすぼらしくても、それを安息所として、そこに自分の事情と生涯と生活のあらゆる基準を結びつけようとする家庭が、 良い家庭なのです。

そこには、父母と子女の間に、互いのために思いやる心情があります。 これが追憶の本郷であり、あらゆる生活の動機になるので、私たちの生活で幸福を左右する基礎になります。
それはなぜでしょうか。 父母と子女の間には、誰も侵すことのできないたった一つの愛の関係と、たった一度しかない血統的な愛の関係があるからです。

そこでは、父母と兄弟の愛が動機となっているので、私たちの生活に慕わしい対象とし連結されるのです。(天一国経典『天聖経』第五篇第一章第一節10)

共に暮らす人生の典型は家庭です。 父母と子女は愛と尊敬で、夫婦は相互信頼と愛を土台として、兄弟姉妹は互いに信じて助け合いながら、一つになって暮らす家庭が、正にモデル的理想家庭だというのです。

真の愛の根に真の愛の幹が生じ、真の愛の実を結ばせる、 真の家庭を探して立てなければならないという意味です。(天一国経典「平和経」第四篇22)

人間は誰でも、家庭で泣いている父母よりは、笑っている父母に待って暮らしたいと思います。笑って生きる兄弟と共に暮らしたいと思います。

それでは、どのようにすれば、笑う父母に待って暮らし、笑う兄弟と暮らせるのでしょうか。世の中でいう夫婦とその父母を中心とした家庭ではなく、全人類と全世界の父母を中心とした家庭にならなければなりません。 世界を代表し、 万国を代表できる家庭の軸は、どこにとどまるのでしょうか。

誰でも平和な家庭を求めているのと同様に、絶対的な神様がいるならば、その方もやはり絶対的な平和の家庭的基準を求めてこられるのです。(天一国経典『天聖経』第十篇 第二章 第三節3)

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