家庭教会の定着
皆さんが外地に出て修練をし、 み旨を中心として熱心に活動した新しい習慣性をもって、その町全体を変革しなければなりません。 付いていってはいけません。
神様が、何もない中で御自分のすべてを投入して愛の対象圏をつくったように、皆さん自身を投入しなければなりません。必ず一つに一致させなければなりません。
皆さんの故郷の人々の中で、誰よりも最高の位置にまで行けば、霊界が協助するのです。(天一国経典「天聖経』第九篇 第二章第一節3)
先生は、統一教会の教会員に天国の鍵をあげるのです。 先生は、死ぬために十字架に行くのでしょうか。 死ぬために行くのではありません。希望をもって、より高い所に行くのです。イエス様は、行って帰ってくることができず、何千年の間、来ませんでしたが、先生は、行けばいつでも来ることができ、思いのままに行ったり来たりできるのです。
帰ってきてからは、統一教会を訪ねていくのではなく、家庭教会を訪ねていかなければなりません。
先生が訪ねるべき所は家庭教会ですが、 家庭教会は、神様が臨在できる所であり、父母様が臨在できる所であり、息子、娘が暮らせる所、一族が暮らせる所です。教会は、家庭のための社会的事務所です。(天一国経典『天聖経』第九篇 第一章第一節3)
新しい世界に越えていくときは、宗教もなくなります。 家庭教会だけが残るのです。真の父母を中心とした家庭です。
家庭は、真の父母の伝統を中心とした、その愛によって連結された一本の木のような理想世界統一された世界です。 霊的な世界は見えない神経系と同じであり、見える世界は血管系と同じです。
この二つの世界が調和統一されるところで、私たち人間の椰した体と心が一つになる
のと同じように、この世界と霊界が完全に一つにならなければなりません。(天一国経典「天聖経」 第九篇 第一章 第三節 6)
神様が私たちの町に訪ねてきたとき、父と母をお連れして訓示できる私たちの家にならなければなりません。 精誠を尽くして神様に侍るのです。
歴史始まって以来、国王に侍るのではなく、天地の大主宰であられるその方に、誰もが夢の中ででも侍りたいと思った願いがあったのですが、私たちの時代において、平面的に、実際に迎えることができるのです。
そのような時代圏内にいることに対して感謝の思いをもち、その町を飾り、 家を美しく装って神様を迎えようとしなければなりません。
母、父、姉、兄、親戚が、不信の風潮と、このすべての死亡の波をなくし、神様が永遠に共にいらっしゃる「私」の町をつくってみようとしなければなりません。
そのような運動が必要なので、今日、家庭教会という課題が統一教会から出てくるようになったのです。今まで宗教は、個人の救いを目標としてきましたが、統一教会の救いは氏族の救いが目標です。一度に氏族が救いを受けようというのです。
「死んで天国に行くのではなく、生きて氏族が天国に入れる公義のチケットを受けましょう!」という運動が、 家庭教会運動です。(天一国経典「天聖経』第九篇 第一章第一節9)
先生が祝福家庭を氏族的メシヤとして送ったのは、世界の家庭を代表しているからです。そのため、全世界の夫婦の前に、記録的な男性、女性となり、記録的な男性と女性から生まれた息子、娘は、今まで地球星に生きては死んだ人間とは違う一族の先祖になったことを知り、神様の息子、娘として、天国に直行して入れる人にならなければなりません。
彼らは、神様を絶対に信じ、真の父母を絶対に信じ、人類を絶対に愛さなければなりません。縦的、横的な愛を中心として、人類を愛さなければなりません。そのように愛したとき、中央に入ってくるのです。中央に入ってきて、位置に定着するのです。 そうでなければなりません。
ですから、家庭的基準を中心とした召命の責任を担うため、いかなる家庭よりも模範的な家庭を築いていきなさいというのです。(天一国経典『天聖経』第九篇 第二章 第一節2)
祝福家庭を中心として、氏族が形成されていくようになります。ですから、皆さんは、氏族的メシヤとしての使命を果たさなければなりません。 これからの教会は、族長を中心として成り立ちます。 祝福を受けた人々は、すべて族長たちです。
これからは、統一教会で礼拝を捧げるのも、説教形式ではなく、報告形式でしなければなりません。報告の内容は、その家庭が誇れることでなければなりません。ですから、家庭全体が来て、礼拝を捧げなければならないのです。
そのようにしながら、模範的な家庭の報告は手本にし、難しい家庭の報告はうまくいくように導いてあげなければなりません。そして、家庭天国を建設しようというのです。
家庭天国を先につくることができなければ、地上天国はできません。(天一国経典『天聖経』第五篇 第四章 第六節 35 )

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