共に暮らす
家庭には、必ず父母がいなければならず、夫婦がいなければならず、 子女がいなければなりません。それだけでなく、周囲には親戚もいなければなりません。家庭には祖父母、父母、自分たち夫婦、息子、娘がみな入っています。
ここで何を中心として一つになるのかというと、言葉を中心として一つになるのではありません。お金を中心として一つになるのではありません。 御飯を食べて暮らすことを中心として一つになるのではありません。
一軒の家に住む家族だからといって、みな一つになるのではありません。 そこにある高低を克服して乗り越え、情を中心として一つにならなければなりません。 愛を中心として一つにならなければならないのです。
家庭は、父母の愛、夫婦の愛、 兄弟の愛、それだけでなく祖父母の愛、孫と孫娘の愛を中心として、縦横と左右全体が和合するのです。 情が核になって全体が一元化されて動く一つの連体的基盤です。 家庭は情を中心としてつくられるのです。(天一国経典『天聖経』第五篇第一章 第一節2)
家庭を見るとき、家屋が良く、その周囲の環境が良いといって、良いわけではありません。
反対に、いくら環境が悪くて家がみすぼらしくても、それを安息所として、そこに自分の事情と生涯と生活のあらゆる基準を結びつけようとする家庭が、 良い家庭なのです。
そこには、父母と子女の間に、互いのために思いやる心情があります。 これが追憶の本郷であり、あらゆる生活の動機になるので、私たちの生活で幸福を左右する基礎になります。
それはなぜでしょうか。 父母と子女の間には、誰も侵すことのできないたった一つの愛の関係と、たった一度しかない血統的な愛の関係があるからです。
そこでは、父母と兄弟の愛が動機となっているので、私たちの生活に慕わしい対象とし連結されるのです。(天一国経典『天聖経』第五篇第一章第一節10)
共に暮らす人生の典型は家庭です。 父母と子女は愛と尊敬で、夫婦は相互信頼と愛を土台として、兄弟姉妹は互いに信じて助け合いながら、一つになって暮らす家庭が、正にモデル的理想家庭だというのです。
真の愛の根に真の愛の幹が生じ、真の愛の実を結ばせる、 真の家庭を探して立てなければならないという意味です。(天一国経典「平和経」第四篇22)
人間は誰でも、家庭で泣いている父母よりは、笑っている父母に待って暮らしたいと思います。笑って生きる兄弟と共に暮らしたいと思います。
それでは、どのようにすれば、笑う父母に待って暮らし、笑う兄弟と暮らせるのでしょうか。世の中でいう夫婦とその父母を中心とした家庭ではなく、全人類と全世界の父母を中心とした家庭にならなければなりません。 世界を代表し、 万国を代表できる家庭の軸は、どこにとどまるのでしょうか。
誰でも平和な家庭を求めているのと同様に、絶対的な神様がいるならば、その方もやはり絶対的な平和の家庭的基準を求めてこられるのです。(天一国経典『天聖経』第十篇 第二章 第
神様は、恐ろしい方ではありません。 神様は、最も近いのです。 神様に会えば、神様の背中に乗って、神様の髪の毛をつかんでも神様は喜びます。孫たちが祖父の髪の毛をつかんで背中に乗っても、愛する孫なので喜ぶのと同じです。 神様は、私たちの父母ではないですか。
分かってみると、神様は、恐ろしい方ではないのです。 世の中で最も近い方が神様です。父母よりもっと近く、夫よりもっと近く、息子よりもっと近い方が神様です。そのような神様を知り、最も近く、最も尊く、「私」と共に永遠に一緒に生きる方であることを知るようになるときに、万事がすべて都合良く運ぶのです。(天一国経典『天聖経』第三篇 第二章 第一節6)
4/6(土)108p8行~111p10行
生活信仰
コメント