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夫婦の心情を育む

夫婦の立場というのは、神様の子女が一つになった立場であり、神様の家庭で兄弟が一つになった立場であり、夫婦が一つになった立場であり、父母が一つになった立場であることを知らなければなりません。 夫と妻は、四大心情圏を中心として見るとき、自分を完成させてくれる絶対的対象者です。

ですから、夫というのは、妻に理想的な神様の息子を迎えさせる立場であり、天の兄を迎えさせる立場であり、天の夫を迎えさせる立場であり、天の父を迎えさせる立場です。妻も、夫に対してこれと同様の位置に立つようになるのです。

このような夫婦は、神様が体恤したように、子女を生み、自分たちが育ってきたすべてのものを、子女を通じて実体的に体恤することによって、喜びを感じるようになります。

神様の愛は絶対的なので、夫婦は別れることができないのが天理原則です。(天一国経典「平和経』第一篇6)

愛は唯一のものです。一つしかありません。唯一のものであり、絶対的なものです。そのような愛を願うので、妻に接するとき、 絶対 「性」をもって接しなければなりません。

妻に出会うことによって、天国が「私」を訪ねてくるようになります。そのようになっています。

男性がいくら苦労しても、愛の道を訪ねていき、愛の正道に従わなければ、天国に行くことはできません。そのような天国を私に紹介するために訪ねてきた方が、妻という人であり、夫という人です。 その二人が仲たがいする日には、天国が壊れていきます。私たちの人生の本然の理想と夢に、ひびが入っていくのです。(天一国経典『天聖経』第八篇第二章 第五節 6 )

私たちは神様に代わって愛で生まれ、愛で生きながら息子、娘を生み、愛の目的地に到達して、永遠に神様と共に生きるために神様の所に帰るのです。 すなわち、私たちの一生とは、愛で始まり、 愛で熟し、 愛の実として刈り取られるのです。人が死ぬということは、愛の実を収穫することです。

私たちは、父母の愛を受け、 夫婦の愛を交わし、 子女を愛したので、内的な愛の世界に蒔かれた神様の愛のすべてを、一生をかけて実を結んで収穫し、あの世に逝くのです。

ですから、私たちが完全に愛で一つになれば、神様に似るようになります。 夫婦が合わさってこのような三段階の愛を完全に完成して霊界に行くようになれば、永遠の主体である神様のみ前に、永遠に「相対としての神様」になるのです。

真の愛を中心として夫婦が死ねば、そのようになります。 ですから、神様で始まって神様で締めくくるのです。(天一国経典「平和経』第三篇 156)

今後、理想世界では、夫婦が仲良く歩けば、未婚の女性と男性はその人たちに挨拶をしなければなりません。 これからそのような時が来ます。 夫婦が一つになっている姿を誇らしく思い、それを賛美する社会風土にならなければなりません。

さらには、祝福を受けた家庭の夫婦が歩けば、今後はそのような標識が立つでしょう。その人々は、どこに行っても社会からあがめられ、多くの人々がその夫婦に対して賛美し、尊敬できるようにならなければなりません。(天一国経典『天聖経』第十一篇 第四章 第二節 114)

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