4/5(金)104p3行~108p7行

家庭は愛の学校
人生において、 家庭は、最も重要な愛の学校です。 子女たちは、家庭において父母だけが行うことのできる愛の教育、情緒教育を通して、心情の深さと幅を育てられます。これが子女の人格をつくる礎石となります。
また、家庭は、子女に美徳と規範を教育する学校です。人は、このような情緒教育と規範教育を受けた土台の上で、知識教育、体育、技術教育を受けなければならないというのが天道です。
父母は、子女に真の愛を施す真の父母になると同時に、真の師となって心情教育と規範教育を正しく行うようになっています。たとえ父母が真の師であることを自覚できなくても、子女は、父母からありのままの姿に似て学ぶようになるのです。 父母の役割は、このように重要です。
子女は、父母が与える真の愛と父母の愛の生活に似ていきながら、 愛の人格が形成され、霊性が啓発されていくのです。(天一国経典「平和経』第五篇17)

家庭とは何でしょうか。心情的な訓練場です。 愛を中心として心情的に訓練する場所です。
ですから、愛情をもって兄弟のように学校で生きなければならず、愛情をもって国でも兄弟のように生きなければならないのです。 父母のそのような教育は、学校のための教育であり、社会のための教育であり、国のための教育になるというのです。
父母は、情緒的なすべてのものを子女たちに伝授してあげなければなりません。 父母が生きたのと同じように、家庭ではこのように生きるべきであり、社会ではこのように生きるべきであり、国のためにはこのように生きるべきであるという情緒的基盤をつくってあげなければならないのです。(天一国経典「平和経』第四篇 1.4)

家庭は、神が創造した最高の組織です。 また、人類が互いに愛し、平和に暮らすことを学ぶ愛の学校であり、世の中に平和の王宮を建てるための訓練道場です。 為に生きる夫と為に生きる妻として、 そして永遠の愛の道を行くための夫婦として、その責任を学ぶところです。
家庭は世界平和のためのベースキャンプなので、息子・娘が「お父さんとお母さんが喧嘩する姿を、生涯一度も見たことがない」と言うようにならなければなりません。(「平和を愛する世界人として」 光言社文庫版、二三三三ページ)

父母は、子供たちにとって第二の神様です。 「神様が好きか? お父さんとお母さんが好きか?」と尋ねて、「お父さんとお母さんが好きです」と答えたら、それはすなわち「神「様も好きだ」という意味です。

教育の最も大事な部分を担っているのが家庭です。 幸福も平和も、家庭の外にはありません。家庭こそが天国です。 いくら莫大なお金と名誉を持ち、世界をすべて手に入れたとしても、健全な家庭を築くことができなければ、その人は不幸です。 家庭は天国の出発点だからです。夫婦が真実の愛で結ばれ、理想的な家庭が築かれたら、宇宙と直接連結されます。(「平和を愛する世界人として」 光言社文庫版、二三四ページ)

お互いに異なる人種と文化的背景を持つ夫婦だとしても、神様の愛を受けて家庭を持ったのなら、彼らの間に生まれた子供たちの間で文化的葛藤というものはあり得ません。 その子供たちは、父母を愛する心で、母の国と父の国の文化と伝統をすべて愛して大切にするのです。
したがって、多文化家庭の葛藤の解決は、どのような知識を教えるかではなく、その父母が真の愛で子供を愛するかどうかにかかっています。 父母の愛は、子供の骨肉にしみ込んで、母の国と父の国を一つのものとして受け入れさせ、 子供が立派な世界人として育つようにする肥料となります。(「平和を愛する世界人として」 光言社文庫版二五〇ページ)

家庭というのは、人類愛を学び、教える学校です。 父母の温かい愛を受けて育った子供は、外に出ていけば、家で学んだとおりに、困っている人を愛の心で助けるでしょう。 また、兄弟姉妹の間で情け深い愛を分かち合って育った子供は、社会に出て隣人と厚い情を分かち合って生きていくでしょう。
愛で養育された人は、世の中のどんな人でも家族のように思うものです。 自分の家族のように思って人に仕え、人に自分のものを分けてあげる愛の心は、真の家庭から始まります。
家庭が大切なのには、もう一つ理由があります。 家庭は世界に拡大するので、大切なのです。 真の家庭は、真の社会、 真の国家、真の世界の始まりであり、平和世界、神の国の出発点です。 父母は、息子・娘のために骨が溶けてなくなるほど働きます。 しかし、単純に自分の子供にばかり食べさせようと働くのではありません。 あふれるほど愛を受けた人 m
は、人のために、神様のために働くことができます。
家庭は、あふれるほど愛を与え、また与える所です。家庭は、家族を包む囲いであっ愛を閉じ込める所ではありません。かえって家庭の愛は、外にあふれ出て、絶えず流れていかなければなりません。 いくら愛があふれ出ても、家庭の愛は渇くことがありません。
神様から受けたものだからです。
神様から与えられた愛は、いくら掘り出しても底が見えない愛、いや、掘れば掘るほどもっと澄んだ泉があふれ出てくる、そのような愛です。 その愛を受けて育った人は、誰でも真の人生を生きることができるのです。(「平和を愛する世界人として』 光言社文庫版、二五〇ページ)

コメント