四大心情圏を完成する人生
人間が生まれたのは愛の世界を旅行するためです。 愛の宇宙を旅行するために生まれました。「私」が父母から血統を受け継ぐとき、父母の愛の中に同参したのです。 それで、生まれた時から愛を受けるのです。 母の腹中から父母が愛したのです。 十ヶ月間ひたすら触り、生んでからも愛し、学校に入って大学までの期間、父母の愛の圏内で育つのです。
その父母は、自分の息子、娘を最高に愛するのですが、他の人と同じようにしてあげられなければ胸が痛むのです。 息子、娘を生んでみてこそ、「私たちの父母がこうだったのだろうなあ」と理解するのです。
そうだとすれば、私たちをこのように放っておいて歩き回るとき、父母はどうして安らかに眠り、安らかな時間をもつことができたでしょうか。いつも焦る思い、不安な思いをもったであろうことを皆さんは知り、私たちの父母は素晴らしいということを悟らなければなりません。
ですから、愛です。 生まれて十六歳になれば物心がつきます。 そして、十八歳、ないし二十歳になれば結婚します。 それでまた愛です。 結婚し、また何年かたつと息子、娘を生み、また愛です。結婚をさせれば、今度は孫を愛するようになるのです。(天一国経典『天聖経』第四篇 第四章 第四節 111)
人間は、愛で生まれ、愛の中で育ち、その次に、もう一度、他の次元の愛に連結されますが、それは父母の愛を離れて、相対の愛を訪ねていくからです。 父母の愛を蘇生的愛と言うことができ、夫婦の愛を長成的愛と言うことができます。 夫婦同士がどれほど愛したとしても、子女がいなければ愛の完成を見ることができません。ですから、 子女を願うのです。 これが完成的愛です。
したがって、父母の愛、夫婦の愛、子女の愛を経る過程が人生の根本であり、神様の創造的愛の理想の根本となる道です。 真の愛を中心として成就された家庭の目的は、家庭だけのためのものではなく、天国を成し遂げるためなのです。
宇宙が一つになるための標準を中心として、家庭から民族、国家、 世界、天宙まで拡大していくのです。 そして、 世界まで行ってから帰ってこなければなりません。 天一国経典「天聖経」第三篇第三章 第一節2)
真の愛は、経験を通して得るものであり、体値を通して分かるようになっています。 真の愛は、言葉や文字、あるいは一般教育を通して体得できるものではありません。生活を通してのみ、完全に体得できるのです。こ赤ん坊として造られたアダムとエバは、成長しながら、真の子女の心情、真の兄弟の心情、真の夫婦の心情、真の父母の心情を、段階的生活を通して経験し、体値することによって完成するようになっています。
神様の真の愛を全体的に体得するとき、初めて創造目的を完成した理想的な人間になるのです。(天一国経典『天聖経』第三篇 第二章 第三節44 )
家庭において四大心情圏を完成した基準がより大きく統一されれば、 一体理想が実現し、その土台の上に平和と幸福と自由の天宙を迎えることができるのです。したがって、心身統一と、男女を中心とした家庭統一が重要なのです。
神様も成長してこられたというのです。 無形の心の中にあった子女、兄弟、夫婦、父母を、実体のアダムとエバとして創造し、子女、兄弟、夫婦、父母となり、第二の自己として体されることによって、 真の愛の理想を完成した神様としての無限の喜びを感じられるのです。 天一国経典 「平和経」 第一篇6)
夫婦の心情を育む
夫婦の立場というのは、神様の子女が一つになった立場であり、神様の家庭で兄弟が一つになった立場であり、夫婦が一つになった立場であり、父母が一つになった立場であることを知らなければなりません。 夫と妻は、四大心情圏を中心として見るとき、自分を完成させてくれる絶対的対象者です。
ですから、夫というのは、妻に理想的な神様の息子を迎えさせる立場であり、天の兄を迎えさせる立場であり、天の夫を迎えさせる立場であり、天の父を迎えさせる立場です。妻も、夫に対してこれと同様の位置に立つようになるのです。
このような夫婦は、神様が体恤したように、子女を生み、自分たちが育ってきたすべてのものを、子女を通じて実体的に体値することによって、喜びを感じるようになります。
神様の愛は絶対的なので、夫婦は別れることができないのが天理原則です。(天一国経典「平和経』第一篇6)
愛は唯一のものです。一つしかありません。唯一のものであり、絶対的なものです。そのような愛を願うので、妻に接するとき、 絶対 「性」をもって接しなければなりません。
妻に出会うことによって、天国が「私」を訪ねてくるようになります。そのようになっています。
男性がいくら苦労しても、愛の道を訪ねていき、愛の正道に従わなければ、天国に行くことはできません。そのような天国を私に紹介するために訪ねてきた方が、妻という人であり、夫という人です。 その二人が仲たがいする日には、天国が壊れていきます。私たちの人生の本然の理想と夢に、ひびが入っていくのです。(天一国経典『天聖経』第八篇第二章 第五節 6 )
私たちは神様に代わって愛で生まれ、愛で生きながら息子、娘を生み、愛の目的地に到達して、永遠に神様と共に生きるために神様の所に帰るのです。 すなわち、私たちの一生とは、愛で始まり、 愛で熟し、 愛の実として刈り取られるのです。人が死ぬということは、愛の実を収穫することです。
私たちは、父母の愛を受け、 夫婦の愛を交わし、 子女を愛したので、内的な愛の世界に蒔かれた神様の愛のすべてを、一生をかけて実を結んで収穫し、あの世に逝くのです。
ですから、私たちが完全に愛で一つになれば、神様に似るようになります。 夫婦が合わさってこのような三段階の愛を完全に完成して霊界に行くようになれば、永遠の主体である神様のみ前に、永遠に「相対としての神様」になるのです。
真の愛を中心として夫婦が死ねば、そのようになります。 ですから、神様で始まって神様で締めくくるのです。(天一国経典「平和経』第三篇 156)
今後、理想世界では、夫婦が仲良く歩けば、未婚の女性と男性はその人たちに挨拶をしなければなりません。 これからそのような時が来ます。 夫婦が一つになっている姿を誇らしく思い、それを賛美する社会風土にならなければなりません。
さらには、祝福を受けた家庭の夫婦が歩けば、今後はそのような標識が立つでしょう。その人々は、どこに行っても社会からあがめられ、多くの人々がその夫婦に対して賛美し、尊敬できるようにならなければなりません。(天一国経典『天聖経』第十一篇 第四章 第二節 114)

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