ところが皆さんはこれができずにいます。教会に来ることだけで終わるのではなく家庭の中でも普遍化しなければならないのにこれをなおざりにすることによってこのような結果を招いたのです。教会に来てはああだこうだと言うのに家庭の中ではああだこうだと言わないというのです。
私たちの家庭が他の家庭の模範になるべきなのですがそのような刺激を与えることのできる動機は誰がつくらなければならないのでしょうか。息子娘はつくることができません。父母がつくらなければならないのです。(一九七〇・六・四)
子女を前にして走っていきながら「私が死んでもお前はこのリレーのバトンを握って走らなければならない。私が苦労して骨を折るのは世界を生かすためだ。それでこそそのような世界が来るのだ。それが神様の願いであり真の父母様の願いでありお前の父の願いでありお前の母の願いでありお前の願いに違いないので万世に永遠不変天下の人たちが称賛できる願いであるに違いないのでこの道を行かなければならない」という教育ができる真の父母にならなければなりません。
死んでいきながらでもこのことを残して逝かなければならないのです。(天一国経典『天聖経』第五篇第四章第四節9)
家庭の父母は神様を代身した家庭の父母とならなければなりません。父母は子女たちに教育をしながら「おい我が息子娘よ。お前たちは私を愛する以上にお前たちの兄弟を愛さなければならなしお前たちの隣近所国世界を愛さなければならない」と言わなければなりません。
このように教育する人であってこそ父母の中でも真なる父母の資格を持つことができるというのです。それはなぜでしょうか。それでこそ自分の息子娘が自分の家がより大きな善なる立場善の中心として発展していくからです。(一九七七・一一・一一)
霊的な基準において真の人類が追求すべき最後の福とは何でしょうか。最後の福とはほかでもありません。父母を早くに亡くした孤児のような立場にある息子娘の願いは何でしょうか。お金ではありません。御飯でもありません。そのような人の願いはただ死んだお父さんとお母さんがまた生き返ることだけです。
それと同じように人類の前に贈り物を与えようとするなら本当の意味において最高の贈り物を与えようというのです。また彼らに紹介してあげるのなら真なるものを紹介してあげよう見せてあげるのなら正しいものを見せてあげよう間違いのないことを教えてあげようというのです。
教えてあげる場合には何を教えてあげようというのでしょうか。お金もうけを教えてあげようというのではありません。勉強ができて出世することを教えてあげようというのでもありません。
今日のこの時代において人類万民が願う真の父母とその真の父母と結ばれた真の子女の道理を完全に教えてあげようというのです。それ以上に価値があることはありません。(一九六九・一〇・一八)
家庭天国の実現
本来人間の堕落がなければ人間は神様の真の愛の中で完成し神様を父母として真の子女になっていたのです。完成した人間は神様の愛の中で真の夫婦の関係を結び真の子女を生んで養育し共に天国を形成して暮らしたあとに家族全員が自動的に天上の天国に入っていって暮らすようになっていたのです。
もし皆さんの家族の中で父親は地獄に行って母親だけが天国に行くとすればそれがどうして天国でしょうか。父母は地獄に行って子女たちだけが天国に入っていくとすればそれをどうして天国と呼ぶことができるでしょうか。

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