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兄弟姉妹の愛
父母の愛を中心として兄の立場に立った人は、自分を犠牲にしていきながら父母の代わりに弟や妹を愛するのが愛の秩序であり、伝統です。 兄という立場は、兄弟の中で一番苦労しなければならない責任がある立場です。 父母のために、兄弟のためにです。それが兄だというのです。
父母は子女を代表して、子女たちよりもっと苦労するのです。子女のために愛を中心としてそうするのです。その場は涙が交差しても、離れたいと思いません。涙を流しながらも付いていく道がそこにあるのです。(天一国経典『天聖経』第五篇 第三章 第三節 1/7)
兄弟がなぜ必要ですか。 男性は、妹や姉を見ながら、「母はあのように育ったのだなあ」ということが分かるのです。 母親が育っていく姿を見るのです。また女性は、兄や弟が育っていくのを見て、 「父はあのように育ったのだなあ」と、その姿を見るのです。
それが兄弟愛です。そのように育って一つになるのです。 ですから、兄弟を愛さなければなりません。(天一国経典『天聖経』第三篇 第二章 第五節 1 )

「私」が父母に会いたいと思うのと同じように、父母は、自分の兄弟を父母よりもっと愛してくれることを願うのです。
「父母に孝行をする」と言いながら兄弟同士でけんかをすれば、 その孝行は成立しません。
父母の心は、自分のために尽くしてくれようとする思いよりも、兄弟同士がもっとために生きることを願うのです。 父母を世話することができなくても、 「お母さん、少し待ってください。私は弟と妹を愛してきます」と言えば、「この子は、見どころのある子だ」と思うのです。
兄弟を父母以上に愛そうという人は、天国で永遠に暮らせる人です。 兄弟を父母のように愛せない人は、ここから外れるのです。その道理の根本を悟ってみれば簡単です。 それが分からずに、今までできなかったのです。
私たち食口同士で一つになれるか、なれないかということが問題です。 父母の前に孝行できない立場に立ったならば、父母のために自分が精誠を込めたものを、父母の代わりに自分の食口のために与えなさいというのです。そのようにすれば、父母に孝行した以上のものとして天が受け入れます。そのような人は必ず祝福を受けるのです。(天一国経典「天聖経』第十一篇第四章 第二節 2)

家庭には父母がいて、その膝下には多くの子女たちが育っています。その多くの子女たちには、各自の個性があります。様々な個性をもつ兄弟たちが自分を主張できるのは、父母の愛と根が同じだからです。そのような主張は、いくら幼い弟と妹の主張だとしても、兄弟たちが無視できません。
なぜ無視できないのでしょうか。父母の愛を中心とするからです。大きくても小さくても、父母が共にある立場では、いくら弟と妹の立場にあっても、その弟と妹は父母の愛と一つになった立場にいるので、彼が主張することを認めなければなりません。
また、それが歓迎されるように動くのが、家庭生活なのです。(天一国経典『天聖経』第五篇第三章 第三節 135)

兄弟は、多ければ多いほど良いのです。 兄弟がいくら多くても、御飯が茶碗一杯分しかなければ、兄弟で分けて食べなければなりません。 御飯が茶碗一杯しかないからといって、争ってはいけません。 兄弟が多くて大変な中で暮らしていても、「私は御飯を食べなくても、お姉さんにあげたい。 弟と妹にあげたい」という愛の心をもてば、いくらでも良いというのです。
良い服は自分が着て、悪い服は弟と妹にあげますか。 サタン世界と反対に考えなければなりません。 統一教会の祝福を受けた家庭の子女たちが考えるのは、サタン世界とは違わなければならないのです。(天一国経典「天聖経』 第十一篇 第四章 第二節 5)

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