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伝道するとき、どのようにして愛の話をすればいいのでしょうか。 「伝道、伝道」と言わなくても、愛の心をもって暮らせばいいのです。 愛をもって暮らしてみなさい。

町内で会う人は、自然に来るようになるのです。 低気圧が来れば、高気圧に「来るな」と言っても、来るようになるのです。 愛することは、低気圧圏をつくることです。ですから、高気圧圏がすべて集まるようになっているのです。

先生のような人は、どこかアフリカの奥地のような所に行っても、死にません。 既に自然と対し方が違い、暮らす生活方法が違うのです。 そこは、低気圧圏になるので高気圧圈が飛んでくるのです。自然に補ってあげなければならないのです。

伝道しなくてもいいのです。そのように暮らすのです。 伝道することはないのです。そのようにすれば、神様が訪ねてくれるのです。 そこに香気が漂うのです。 花が咲く時、「蝶よ、来い!」と言われて来ますか。 香りがするので、においをかいで来るのです。 においをかいで来るというのです。

「異端、統一教会、悪い、悪い」と言ってすべて北側に鼻を向けるのですが、統一教会のほう、南側に向かってみると、においをかいでくるのです。 続いてくるようになっているのです。(一九八六・四・二五)

本を持って壇上で教えることだけが教育ではなく、一つの言葉、 一つの行動がすべて教育です。女性たちの服装についてもそうです。 服装を見れば、その人がどのような人かが分かります。 体は心の反映なので、服装はその人の人格を反映するのです。

そのような問題において、私たちの日常生活のすべてが教育の生活圏を形成することによって、その生活圏自体がすべての人に刺激的な影響を与えるのです。 教育強化の実効を私たちの生活を通して連結させていけば、そこから社会が発展していくというのです。世界の新しい希望がその場から広がるのです。(天一国経典「天聖経」第五篇 第四章 第一節 7 )

先生は、監獄でも、九五パーセントを他の人のために生きようとしました。 それで朝早く起きては掃除をし、汚い所をきれいに片づけてから日課を始めるのです。

ダンベリーの監獄にいるとき、食堂に行っても休むことなく、何でもしなければならないというのが習慣になり、他の人たちは仕事がなければ居眠りして、ありとあらゆることをするのですが、先生は立って待つのです。 習慣がそのようになっているのです。

何か仕事があれば、先生がまず行って手伝ってあげます。ですから、その食堂で有名にならざるを得ないのです。(天一国経典「天聖経」第十一篇第五章第二節 4/4)

ダンベリー刑務所の囚人たちは、慕わしさに飢えた人々です。 私は言葉を一言語るにしても、彼らのことを思う心で語りました。 ですからみな、私の近くに来ようとしたのです。

御飯を食べるとき、最初は私一人で食堂の隅に行って食べました。 ところが、約三ヶ月後には、食堂に行けば、私がよく座る場所をあらかじめ把握し、他の人々が座っているのです。 座ってみると、私が座る場所もないほど人が集まってしまうのです。 私が他の場所に行って座れば、元の場所を離れてまた訪ねてきます。 このようなことが起きました。

それは、嫌いだからそのようにするのですか、好きだからそのようにするのですか。 人心は天心に通じます。 人は霊的な存在なので、自分を思ってくれ、自分のために尽くしてくれ、自分の行く道を明示してくれようとする、そのような正しい心が分かるというのです。

ですから、言葉をもって伝道するのではありません。 愛の心情があふれて流れれば、そこには花が咲くのです。冷たい風が吹いても、岩の間から花が咲きます。北極の氷山世界でも花が咲き、氷の中でも花が咲くというのです。(一九八七・五・一)

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