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〇良心

神様が暮らすところとはどこでしょうか。 神様は、最も価値のある愛に定着されます。男性と女性の二人がいれば、神様はどこにいらっしゃるのでしょうか。

神様は、一体化して変わらない、 統一された愛の最も根底に、垂直にいらっしゃいます。

男性と女性が一つになれば、そこが中心点になるのです。 神秘的な祈りの境地、霊的体験圏に入って、「神様!」と呼べば、内から、「なぜ呼ぶのか。ここにいる、 ここだ!」と答えられるでしょう。 「ここ」 というのは、自分の心の中です。 心身一体化した愛の中心点、垂直の場です。

それでは、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙の中心はどこでしょうか。いくら小さくても、その中心は良心です。 宇宙の愛の軸がとどまるところ、 支える先端の地は、自分の良心です。 心身一体化した、その良心です。(天一国経典『天聖経』 第一篇第一章第一節2)

良心は神様に優ります。 良心は「私」がいる前からありました。 神様に優り、父母に優り、王に優るのです。 そのような貴いものが心です。悪いことをしようとするとき、「早くしなさい!」という心の声はありません。 皆さんが悪いことをしようとすれば、心が「おい、こいつ。やめなさい!」と言うのです。

良心の言葉を絶対に聞かなければなりません。そうしてこのように育んでいければ、良心と私が言葉を交わすのです。(天一国経典「天聖経』第四篇第一章第二節2)

良心は第二の神様です。第一の神様はプラスであり、心はマイナスで、第二の神様です。そのような概念をもたなければなりません。

心が第二の神様です。 第二の神様は常に「私」と共にいます。 良心の深い所で、愛と生命と血統の深い所で、私と関係を結んでいるのです。 すべてのものを整理して収拾し、取り除いて、私をしきりに高い場所に導くのです。

ですから、本然の良心は絶えず上がっていくのです。 その力が肉身を主管するのです。これがプラスとマイナスとして一つになって自動的に統一され、完成します。

私の良心は第二の神様であり、この強い力がいつでも一つの中心として、すべて主管するのです。(天一国経典「天聖経」第四篇 第一章第二節17)

〇正午定着

皆さんは影のある生活をしてはいけません。 それで正午定着を宣布しました。それは素晴らしい言葉です。 影がありません。 体と心が一つになり、家庭の四位基台が一つにならなければなりません。

父が誤れば父の影が生じ、母が誤れば母の影が生じ、四人家族で四人が定着できなければ、光の混乱が起こるのです。 影がある所は、みな嫌がります。 ですから、正午定着をしなければなりません。

あの世に行っても影があってはならないのです。影がない所で個人から家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙、 神様まで、 八段階の垂直線を往来する方が神様です。 神様の愛に影が生じるかというのです。 純潔そのものです。ですから、誰もがその純潔な血を願うのです。

誰もが影を嫌がるのです。 影はサタンです。ですから、何であっても、誤れば隠そうとするのです。それが怨讐です。 国境線がそうです。 国境撤廃は正午定着を意味します。これは象徴的な話ではありません。必ずこのようにしなければならないのです。(天一国経典『天聖経』第四篇 第三章 第三節 25 )

正午定着の人生は、影をつくらない人生だと言いました。私たち全員が発光体になって光を与える人生を生きれば、影が生じる隙間がありません。

受ける人は、借りをつくる人です。 皆様は、その借りを返すために、これから、かわいそうな貧しい人の涙を拭ってあげ、暗い所を明るくしてあげる永遠の真の愛の発光体となる人生を生きるように願います。(天一国経典「天聖経』第十三篇 第四章 第二節 114)

皆様は毎日、瞬間ごとに皆様の生を点検しながら生きなければなりません。 皆様は学生時代、試験問題を前にして、その答えが「○」なのか 「×」なのか分からず、慌てた経験があるでしょう。

皆様の一生も同じです。 推し量ることができないほど変化無双に展開される日常生活の中で、瞬間ごとに、皆様自ら御自身の生を「○」と「×」の概念で分析し、点検して、 採点する生活をしなければならないという意味です。その形や性格から見て、「○」は「×」包容し、消化することができます。 しかし、 「x」 は 「○」を包容することができません。

皆様の答えが「○」の時は、皆様の生は肯定的で、希望的であり、 縦的に天に軸を立て、影のない「正午定着」的な生を送っている時です。 ために生きる真の愛の精神で、怨讐までも赦して包容する、 深く広い生です。 天一国経典「平和経」第十篇6)

〇感謝

私たちは常に感謝しなければなりません。 まず神様に感謝し、その次に、夫に感謝し、妻に感謝し、隣人たちに感謝しなければなりません。 感謝すればするほど、より深い愛が連なって流れ込んできます。 たくさん感謝をすればするほど、その感謝に比例して、 神様の愛の量がさらに増えるでしょう。

ですから、私が死ぬときには、感謝の言葉を世の中に残し、愛だけをもって父のみ元に帰ります。 愛の中で永遠に生きるのです。そのときには、どれほど神様をあがめ、感謝しながら生きるだろうかというのです。 それが夢です。

私たちは、愛の祝福の場に行くために、感謝する生活をしなければなりません。不幸にぶつかれば、神様もそれを御存じです。 世界で最も不幸な状況にぶつかったとすれば、神様がそれを記憶せざるを得ません。

その場で感謝することによって消化するようになれば、神様が「信じられる人だ」と言われるのです。それを越えていけば、世界にまたとない福を受けます。このような原則があるというのです。(一九七七・五・二九)

私の生涯の座右の銘は、いかにしてきのうよりきょう、 さらに感謝の気持ちをもって生きていくかということです。きのうよりきょう、さらに感謝し、あすはきょうよりもっと感謝しながら生きるために努力してきました。日ごと、感謝の気持ちをもつことが、私の人生の目標でした。

お父様はダンベリーに出発される直前に、「不平を言ってはいけない。立てられた立場で感謝し、感謝することによって完全に一つとなったとき、大きな奇跡が起きる」と語られました。(真のお母様、一九八四・七三一)

皆さんは心を無にしなければならず、悔い改めなければなりません。高い位置にいる人は心から低い位置に降りていき、毎日の生活において天に感謝し、自分自身についても、「このように新しい出発をすることができて感謝だ」と言わなければなりません。

「きょう一日も、これまでできなかったみ旨のための活動に、最善を尽くすことのできる一日となるように導いてください」と言いながら、感謝の気持ちをもって生きるようになれば、周囲がすべて美しく見えます。 そして、幸福になります。

自分だけで大事にしまっておくことができないので、伝道をせざるを得なくなるのです。(真のお母様、二〇一二・一〇・二七)

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