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ために生きる

統一教会の中心思想は、「ために生きる」というものです。そのようにすると、「私」が中心になるのです。互いにために生きる過程がなければ、家庭の平和がなく、家庭の平和を形成できなければ、民族平和、国家平和、世界平和はありません。

ですから、全世界の愛の圏を中心として生きなさいというのです。これは、人類平和の絶対的な要因になるのです。(天一国経典「天聖経』第十篇 第二章 第四節1)

恒久的な平和世界を建設するために、私たち各自が単純でありながら基礎的な原則を適用しなければなりません。この原則は、神様の本質、神様の本性の核心、すなわち「ために生きる生活」の原則です。

このような原則を日常生活や家庭、社会、職場、礼拝、政府、事業に適用するとき、社会や国家、世界を変化させる過程が始まるのです。(真のお母様、二〇一五・三・一)

ために存在するというこの原則に立脚して、私たちの一生について見るとき、最も価値ある人生観は、自分が全人類のためにあり、全世界のためにあり、国家のためにあり、社会のためにあり、家庭のためにあり、夫のためにあり、妻のためにあり、子女のためにあるという人生観なのです。(天一国経典「平和経』第一篇3)

神様の立場と父母の立場は、まず先に考えてあげる立場です。 神様は、「私」よりも先に考えてくださるのです。 父母も私より先に考えてくださるのです。 だから良いというのです。 それで主体なのです。

二人で暮らすというとき、「あの食口がすべきことを、私がしてあげなければならない」と言うべきです。神様がそのような方です。そのような人が中心です。 ために尽くしてあげる人が中心になるのです。(天一国経典「天聖経』第十一篇第四章 第一節 114)

他のために犠牲になれば、すべてを失うかのように思えますが、それは全く反対です。むしろ愛の主体となり、すべての主人となるだけではなく、さらに高い次元に飛躍するようになるのです。

級友たちのために犠牲になり、奉仕する人は、そのクラスの委員長になるのであり、村のために犠牲になる人は、その村の指導者になるのです。 ひいては国のために犠牲になり、奉仕する人は、その国の主人になるのです。

愛というのは、より大きなもののために犠牲になればなるほど、その愛の等級が高まっていくのが原理です。より大きなもののために犠牲になれば、それに吸収されていくのではなく、その大きなものの中心の場に立って新しい次元を迎えるようになるのです。(真のお母様、天一国経典「平和経」第六篇4)

愛は一人では成立しません。 愛は「私」から出てくるのではなく、相対を通して出てきます。相対から出てくるので、私が頭を低くして相対のために尽くさなければならないのです。 「ために生きなさい」という天理が、 ここから生まれるのです。

極めて高貴なものが私に訪ねてくるのですが、それを受けようとすれば、相対を高めて、ために尽くさなければならないという、「ために生きる哲学」を実践しなければなりません。(天一国経典「平和経」第四篇1)

高くなろうとばかりするのではなく、互いにために生き、育て合い、誇り合うようになれば、全体が大きくなれるのです。 自分だけが優れていると考え、自分が最高であると考えて、自分の考え以外にはないと思う団体や個人は、発展しません。

自己中心的に進めば衰退していき、ために生きる生活を実践すれば発展するようになります。絶対に、自分によって苦しむ人がいてはいけません。私たちは、生命を生かす人々です。兄弟と食口とすべての人々を、愛で抱かなければなりません。(真のお母様、二〇一三・九二三)

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