〇家庭において互いに侍る
神様の愛、真の父母の愛、未来における自分の相対の愛、三大愛をしっかりと保たなければなりません。 これを一人で勝手に扱えますか。 これを打って被害を与えるのは、神様に被害を与えることであり、父母に被害を与えることであり、「私」の未来の愛の相対を破滅させることなのです。そのような愛をもって相対と向き合わなければなりません。それが神様の子女がもつべき愛を中心とした教本、公式の教えです。
兄弟を憎むのは神様を憎むことであり、父母を憎むことであり、将来の自分の相対圏を破滅させて否定することなのです。 愛を取り去ってしまうのです。ですから、そのような人は、神様だけでなく、父母や万物全体が嫌います。 神様から真の父母、被造世界全体の怨讐の位置に立つようになります。 アダムとエバが愛の相対となり得るように、神様は教育できなかったというのです。
神様の恨を解ける天の子女の教えの原則は、このような基準なので、兄弟が仲良くしなければなりません。 父母を中心として、神様のみ前に、万物の前に、そのように過ごさなければなりません。 天一国経典「天聖経』第十二篇 第二章 第三節 23 )
夫婦が愛するということは、神様を植えることです。 本来、父母は本然の神様の立場を代表し、ここで夫と妻は、互いにもう一方の神様になります。 そして、息子、娘は、また一つの小さな神様です。 神様は真の愛の本体なので、真の愛と連結されれば皆が同じ体になります。
父母は、神様に代わる生きた神様であり、夫婦も神様の代わりであり、子女も神様の代わりです。このように、三代が真の愛を中心として神様の代わりの立場になるのです。 それで父母、夫婦、そして子女も真の愛を必要とするのです。
このように真の愛を中心に形成された家庭組織が、天国の基盤です。そのような基盤を形成しなければ、天国ができません。 これが公式です。家庭とは、すべての現実世界の中心です。(天一国経典『天聖経』第四篇 第四章 第四節 1.5)
皆さんは、神様の愛と真の父母の愛と完全に一つにならなければなりません。その基準において心と体が真の愛で一つになり、父母が一つにならなければなりません。 夫婦が真の父母と一つになり、神様と一つにならなければならないのです。それでこそ三代圏が生じるのです。
心情的な三代の真の愛とは、神様の愛、真の父母の愛、その次には、真の夫婦の愛です。そのようになってこそ、人間世界に初めて着陸するようになります。そのような立場を経ていかなければなりません。
ですから、その場は自分の心と体が一つになり、夫婦が完全に愛し合って、完全な神様の愛と、真の父母の愛と一つにならなければならないのです。(天一国経典『天聖経』第八篇第三章 第五節 5)
〇真の愛とは
真の愛の人生は、一言で言うと、ために生きる人生です。 人が自分のために与えてくれることを願う前に、まず人のために与える生き方です。そして、人のために与えたことを忘れてしまう生き方です。
与えてあげたといって何かを期待する生き方ではありません。 与えても、もっと多く与えることができずに心を痛める生き方です。 ために生きるにおいても、頭を下げて与える生き方です。
それが父母の愛であり、主人の愛です。 人類の真の父母である神様がそうなのです。(天一国経典『天聖経』第四篇 第三章 第三節 1 )
真の愛とは何でしょうか。 父母の愛、夫婦の愛、 子女の愛です。 愛は、互いに犠牲となる伝統が備わっていなければ、長く続くことなく壊れてしまうものです。
父母は子女のために犠牲となるので、父母が子女を愛する関係は壊れません。 そして、真の父母の愛を受けて育った息子、娘であるならば、絶対に自分の父母に親不孝をすることはできません。
また、夫は妻に、妻は夫に対して「あなたは私のために生きた」という立場で、お互いに一層ために生き、一層犠牲となる立場が広がれば、その家庭には恵みが訪れるのです。そのような家庭が、神様の訪ねてこられる福地です。(天一国経典「天聖経』第五篇 第四章 第六節 383)
絶対的神様の真の愛の本質は、受けようという愛ではなく、人のために、全体のために先に与え、ために生きようとする愛です。 与えても、与えたということすら記憶せず、絶えず与える愛です。喜んで与える愛です。
母親が赤ちゃんを胸に抱いてお乳を飲ませる、そこに喜びと愛の心情があり、子女が父母に孝行して喜びを感じる、そのような犠牲的な愛です。
神様の人類創造は、何の見返りも期待せず、条件も付けずに与える、絶対、唯一、不変、永遠の愛による創造であったというのです。(天一国経典『天聖経』第十三篇 第一章 第三節17)
真の愛の共鳴圏に入れば、天地がはっきりと見えるのです。釈迦牟尼が、「天上天下唯我独尊」と言ったのも、その共鳴圏の核心に入ってみたところ、天下がすべて「私」の手の内に入ってきていて、神様が私の中にいらっしゃって、天理が私に連結されているので、そのような言葉を語ることができたのです。
真の愛の共鳴圏に入っていけば、信仰は必要ありません。神様と一緒に暮らすので、救世主が必要ないのです。解放です。 すべて終わるのです。(天一国経典「天聖経』 第十二篇 第三章第二節 8 )
3/20(水)34p6行~38p最後まで
生活信仰
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