二十九日目(2月4日)

新しい心と体で覚悟できるようにしてください

お父様、この時間だけには、お父様の心情に染まる私たちの心と体となることを許諾してください。本然のその心に染まる時間、お父様の心情に導かれていくことを感じられる、この時間となるようにしてください。お父様の喜ばれる姿に対して、走っていってお父様の首に抱きつきたい心情が、私たちの心と体に芽生えることを許諾してください。

ひそやかに憂える姿を現され、私たちの心を打ち明けるまでは動かれないお父様でいらっしゃることを知りました。今、私たちの心が汚されたとしても、お父様に向かう衷心だけはもっておりますので、お父様、この心情を通して私たちを訪ねてくださり、この心情を通して命令してください。私の不足さを悔い改め、過去の生活が不忠だったことを悟り、思わず涙を流し、「お父様は私のお父様だ」と叫べる切な心情が湧き上がるようにしてください。

天は、誰に対しても、保護するのを躊躇されないことを知り、天を求めてくる者の友になるのを躊躇されないことを知り、天に向かって叫び涙する者たちの友であり、永遠に共に生きる父として現れるのを喜ばれることを知っているのでございます。お父様、ひそやかに勧告されたお父様の声が慕わしく、やわらかく抱きかかえてくださった、その驚くべき愛の感触が慕わしいのでございます。そのような私たちの心を通してお父様と呼ぶことができる一瞬が慕わしく、手を挙げて私のお父様だと誇り、叫びたいと思うのでございます。

はるか遠くにいらっしゃるお父様だと思っておりましたが、私たちの心の中にいらっしゃり、そのお父様に出会った瞬間が喜びでございました。遠いと思ったときに近い心の中にいらっしゃり、心の中にいらっしゃると安心しているときに遠くから呼ばれるお父様であられるとすれば、今日の人間はここに拍子を合わせることができずにおります。私をお見捨てになったと思ったその場がお父様と近い場であり、私と御一緒ではないと思っていたその場が、お父様が私と共にいらっしゃったことを理解できなかった過去の私たち自身を、この時間に悔い改めるようにしてください。

愛する息子だと認めてくださり、愛する娘だと認めてくださる以上には、その息子、娘を苦労する立場に置きたくないというお父様の心を知らなかったのでございます。お父様の曲折の心情を知らない私たちは、苦労の道に差し出されたお父様を冷酷で無情なお父様だと思い、これまでお父様に対して、自ら嘆くことも多く、恨んだときも多くあったのでございます。お父様の私たちの間に立ち塞がった曲折の壁を理解することができず、恨むこともし、排斥することもし、否定することもし、不信する立場に立ったことを、お父様、お赦しください。

それは、私たちの先祖が堕落することによってゆがめられた罪状のためだったのであり、人類歴史上に恨の血痕を残して預言者や烈士たちが死んだがゆえであることを知っております。きょう、私たちの心の基準が高い位置にありますでしょうか。その心を燃やし尽くしてください。私の体と威信を立て、お父様に代わって現れることを期待しているでしょうか。お父様のみ前に面目のないこの体を打ち、凄惨な立場にいらっしゃるお父様であることを悟り、お父様に語りかけることのできる息子、娘たちとなるようにしてくださることを、切にお願い申し上げます。

お父様、多くの言葉は必要ないことを知っております。み言を伝えたのに行うことができない群れを御覧になり、天が悲しまれるとき、語った者は自らうそを語った者になり、お父様の悲しみは日ごとに加重されたことを知っております。しかし、再び語らなければならない立場にいるこの悲しい事情を天は御存じですが、地上の人間は知らずにおります。このような事実を知りながらも、天はそのような人間をお捨てになることができず、憂慮されて再び勧告しなければならない天の立場であることを、もう一度理解しなければならない私たちを、お父様、受け入れてくださることを切にお願い申し上げます。

きょうも神聖な日だとして集まったのでございます。み言を期待して集まったのでしょうか、天の恩賜を期待して集まったのでしょうか。何かを願って集まったことを知っておりますので、今、真の自分を願うことのできる者たちになることを許諾してくださり、真の自分から下されるみ言と命令を聞き入れられる者たちとなるよう、導いてくださることを、お父様、切にお願い申し上げます。

お父様、私がお父様のみ旨に従い、四十年の路程を歩んできながら、悲しいことがあっても落胆することを願わず、試練を受けるとき、敗北して後退することを願わなかったことを、お父様は御存じでいらっしゃると思うのでございます。お父様、今残った道においても、限りなく連続する苦難の歴史が残っていることを思うとき、きょうの不忠をお父様のみ前に頭を下げてお伝えせざるを得ないのでございます。願わくは、歴史の悲しみをこの一身にもつことを許諾してくださり、残された苦難のすべても、この一身を祭物として天が踏み越えていくことを許諾してください。

お父様が安息なさり、すべての嘆息を忘れ、喜びの一瞬を迎えてお互いに抱き合い、私の父であり、私の息子、娘だと呼べる、その瞬間が慕わしいのでございます。私たちがいかなる犠牲も覚悟しながら、地上においていかなる悲惨な姿で生きることがあっても、その忠節の一片丹心だけはこの地上に立てて、去っていける息子、娘となることを許諾してください。そのような道を行くことを覚悟している私たちですので、お父様、躊躇せずに追い立ててくださり、導いてくださることを切にお願い申し上げます。新しい心と体で覚悟し、誓うことのできるこの時間となることを、お父様、切にお願い申し上げます。

愛するお父様、許諾されたこの時間に、どんなみ言を語られるのでしょうか。お父様が示そうとされるすべてのことを伝えようと思いますので、お父様、その心情をそのまま伝えられるようにしてくださり、受ける者の心と和合して一つの実体的な心情になり、お父様の大いなる懐にかき抱かれ、お父様の栄光を謳歌できるこの時間となることを、切に、切にお願い申し上げながら、主のみ名によってお祈り申し上げました。アーヂュ。(一九五九・三・二九)

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