人間は堕落によって真の「私」の位置を探し出すことができなかったので神様も「私たち」という言葉を使用してみることができませんでした。創造理想的意識圏内に立つことのできる神様御自身が「私のもの」「私の子女」と言える関係を結ぶことができなかったのです。したがって私たちが持っている「私」という概念は神様の本来の創造理想とは何の関係もないものなので私たちは自らを完全否定しなければなりません。
神様は御自身が安心して「私たち」と呼ぶことのできる真の男性と真の女性、すなわち神様の真の息子、娘を探し求めて復帰摂理をしてこられました。言い換えると神様は愛の主体、生命の主体、血統の主体であられるので永遠に一体不可分の基準に立っている真の息子、娘を探し求めてこられたのです。ですから私たちはまず心と体の統一によって個人完成しその基盤の上で神様と父子間の縦的関係を樹立しなければなりません。
しかし縦的な関係だけでは「私たち」という言葉は成立しません。そこには必ず横的な関係が共に調和しなければなりません。したがって男性と女性が真の祝福結婚を通して真の夫婦関係を結び真の子女を生んで真の家庭を立て三代を中心として四位基台を完成してこそ天は家庭単位で「私たち」と呼ぶことができるようになるのです。(天一国経典「平和経」第一篇10)
神様の立場にいる父母は真の愛を中心とする「正分合」の論理から見れば「正」の立場で完全投入、絶対投入することにより子女を生み養育して縦的な「私たち」の軸を立てなければなりません。
そして横的には夫婦が「分」の立場で真の愛を中心として完全一体になって横的な軸を立てるようになれば子女たちは「合」の立場で自動的に縦横の軸に合わせて一つになりながら兄弟間には前後関係というまた別の軸が立てられるようになりその時に初めて縦横と前後に完全な「私たち」の概念が実体的に展開するのです。
ですから家庭が大切なのです。家庭こそ天が私たちに与えてくださった最も尊い贈り物です。家庭という環境がないとすれば私たちはいかにしてこのような絶対的基準の「私」を探し出し縦横や前後に完全な「私たち」というものを考えてみることができるのでしょうか。家庭こそが愛と平和と幸福の揺籃(ようらん)なのです。(天一国経典「平和経」第一篇10)
それでは真の「私」はどこから探し出すことができるでしょうか。ために生きる真の愛を実践する生活においてこそそれは可能なのです。自分を完全に否定し家庭のために生き国のために生き世界人類のためにそして神様のために生きるようになれば真の私は自動的に探し出されるのです。
私たちは自らを前面に立て自分をむやみに主張してはいけません。非常に長い歴史の裏街道で真の「私」を主張する子女を探し求めて、恨に絡み合った復帰摂理をしてこられた神様の心情を少しでも知るならば、むやみに自分を主張できないはずです。
私たちは寝ても覚めても理想家庭の完成のために生きなければなりません。神様の創造本然の世界である平和世界、神様が千年万年待ち続けてこられた理想家庭さえ立てたとすればそれが正に地上天国の出発地となるでしょう。そこにおいてかわいそうな神様の恨を解くことができるようになるのです。
皆様、太陽を見つめても恥ずかしくなく海の水を見てもやましくなく万物の前でも一点の隠し事のない真の自分を取り戻し、神様が「私たち」と呼んでくださる家庭を立てましょう。(天一国経典「平和経」第一篇10)

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