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個人は客車と同じであり、家庭は機関車と同じです。個人が失敗したものを復帰するのは簡単です。しかし家庭的に失敗すれば破綻なのです。(天一国経典『天聖経』第十一篇第四章第一節12)

今までの信仰生活は「私」一人を取り戻すためのものでした。失ってしまったアダムとエバと同じ立場で原罪のない本然の個体を取り戻すためのものでした。
今、神様が最後に願うこととは何でしょうか。まずは神様の愛を中心として個体と個体を合わせた一つの家庭を取り戻すことです。
さらには、神様が愛するその家庭を中心として、そこから広がる氏族を取り戻し、民族世界を取り戻そうというのです。これが神様の全体的なみ旨です。(天一国経典『天聖経』第八篇第一章第一節4)

家庭は個人完成の基準となり、教会完成の基準になります。個人がいくらみ旨の前に良くやったとしても家庭ができていなければ駄目です。ですから家庭が問題です。
家庭を見ればここには一面だけがあるのではなく両面があります。男性がいて女性がいます。その次には男性と女性を中心として子女がいます。このように四方性が備えられています。
この四方性を中心として見るとき、家庭は人間の意志で形成されたものではありません。家庭こそみ旨を中心として個人を完成することができる所であり、教会の出発点です。
もし誤れば教会内で収拾するのではなく、家庭自体内で収拾できる起源をもたなければなりません。そのような起源をもてない人は教会でも収拾する道がありません。
天国は個人を中心としてできるのではなく、家庭を中心として四方性と立体性を備えた土台からできるのです。(天一国経典『天聖経』第五篇第四章第二節10)

皆さんには食口がいるので、兄弟同士愛を与え合い、互いが互いのために与えられる人にならなければなりません。
そのような模範食口になるべきです。統一教会であれば教会の食口全体が敬える男性、女性にならなければなりません。
これからは切るものは切り、解体するものは解体しなければなりません。皆さんの思いのままにしてはいけません。
統一教会は天国を成し遂げなければならない教会なので、個人ではなく家庭を探し求めなければなりません。家庭生活で手本になれない人は世界的に指弾され、全天宙的に指弾されるでしょう。(天一国経典『天聖経』第十一篇第四章第一節9)

教会が問題なのではありません。家庭において神様が定着したのかというのです。原則的なことが問題です。
神様は個人から定着しなければならず、家庭でも定着しなければなりません。家庭で定着できなくては祭司長になれません。本当の祭司長にはなれないというのです。
家庭で夫婦がケンカをして教会に出てきて礼拝を捧げれば、そこに神様が共におられると思いますか。教会に神様をお迎えする前にまず家庭に神様をお迎えしなければならないのです。あらゆる前後関係がそのようになっています。(一九七〇・八・一六)

私たちは心情を離れては生きられません。自分が大統領であっても、あるいは世界的なすべての権威をもっていたとしても心情的な喜びを表せる所がなければ生きられないのです。
自分が率いる人々や閣僚、もしくは追従する人々に対しては心情的な満足を感じられません。それは家庭で感じなければなりません。家庭に帰ってきて夫婦が互いを通じて喜びを感じ、また子女を通じて喜びを感じなければなりません。そうしてその喜びを他の人に誇れなければならないのです。

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