言い換えれば、人類の完成とともに、人類の真の父母を中心とする人類の真の家庭が成されたはずであり、人類の真の家庭とともに真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界が形成されたはずです。 このようになっていれば、真の神様の心情を受け継いだ真の神様の血族になったはずであり、真の神様の血族によって、真の神様の民族が形成されたはずです。
その民族を中心として、神様が直接治める一つの国が形成されたはずだというのです。(天一国経典「天聖経』第二篇 第二章第一節1)
神様は、縦的な真の父母です。 真の愛を中心とした縦的な真の父母の立場に立っているお方が創造主、神様です。神様が縦的な愛の主人ならば、 縦的な愛だけをもっていては一点にしかなりません。 これをいかにして横的に展開させるのでしょうか。
赤ん坊を生むのは、神様ではなく真の父母です。 横的な真の愛の父母の立場に立った、そのお方が真の父母です。 神様のみ前に、すなわち縦的な愛を中心とした縦的な真の父母のみ前に、九〇度の角度を備えた横的な愛をもったお方が真の父母なのです。
ですから、皆さんは二つの父母の愛が必要です。 一つは創造主である父母であり、一つは神様の対象として理想を描きながらお造りになった体のような父母です。 ですから、 神様は心のような立場の父母であり、真の父母は体のような立場の父母です。(天一国経典『天聖経』第一篇 第二章 第三節16)
神様と真の父母と「私」は、復帰を完結させるに当たって、なくてはならない存在です。神様を中心として真の父母になるべき人間の先祖が堕落したので、堕落の動機を越えるためには、三者が一致点を見いださなければなりません。神様のみ旨と、真の父母のみ旨と、私たちの志が一致しなければなりません。
復帰というものを考えるとき、人間が神様の創造目的と一致する立場に到達してこそ、人類の目的も成就されるのであり、人類の父母として来られる主も、万民を復帰させたという基準を完成するのです。このように父母と子女が一つになることによって、神様のみ旨である本然の園を形成し、そこで父母と子女が永遠に分かれようとしても分かれることのできない家庭を備える時、初めて神様のみ旨が完結するというのです。(天一国経典『天聖経』第八篇 第三章第五節1)
神様が願われた真の父母であり、人類が望んだ真の父母であり、天地が待ち望んだ真の父母は、歴史的な解怨をして神様の心情的な偉業を相続するために、この地上へ来られた方です。このような真の父母を再び相続しなければならないのが、私たちであり「私」です。
このような父母を相続するためには、神様の悲しみはすべて知らなくても、真の父母の悲しみの一面を体験しなければなりません。新たに地を探すために天がしてきた苦労も、もちろん知らなければなりませんが、それはすべて知らなくても、地上で苦労した真の父母の心情がどのようなものだということと、悲しい内容がどのようなものだということを、ある一面でも知らなければなりません。(天一国経典「天聖経』第二篇 第四章 第五節12)
皆さんが、真の父母の心情と、神様の愛と、その心情を、どのように体値するのですか。その境地に、どのように入るかが問題です。そのようにするには、堕落していないアダムとエバにならなければなりません。サタンに讒訴されてはいけません。
それでは、サタン世界でどのように解放されるのですか。 サタンと闘って勝たなければなりません。そうするには、どれほど苦労し、どれほど苦しまなければなりませんか。
ヤコブも十回だまされ、モーセも十回だまされ、イエス・キリストもそのように敷かれました。先生も同じです。それを克服していかなければなりません。その時に、神様の心を知るようになるのです。 父母様の心情を知るようになるのです。そうでなければ、絶対に分からず、そうでなければ、サタンが離れないのです。サタンに勝利できない限り、父母の心情を知ることができず、神様の心情を知ることができません。 (天一国経典『天聖経』第二篇 第四章第五節 8 )

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