孝行の道理
堕落した世の中でも、母親の愛は、子女のために投入して忘れ、また投入して忘れ、奉仕し、犠牲になって子女が良くなることを願いますが、 その子女が良くならず、老いて死ぬほど苦労しなければならないのであれば、 老いて死ぬまでもっと投入し、投入することを続けるのです。それが母親の愛です。 堕落した世界でもそうです。
そのようにして逝った父母であることを知るようになれば、お墓に行って、「この親不孝の子女を赦してください」と痛哭し、今からでも何倍も親孝行をしようと、一八〇度変わって孝子の道を行こうとするのです。
手段と方法を通した道ではありません。 これは、本当に血と肉を絞り出す愛の道においのみ可能です。(天一国経典「天聖経』第三篇 第二章第二節 7 )
父母が子女に、親孝行しなさいと教えてあげて孝子にするのではありません。 自ら親孝行しようという心が湧き出るようにしなければなりません。このようなことは一日でできるものではありません。 長い期間を置いて影響を及ぼさなければならないのです。
影響を及ぼすというのは、父がするとおりに、子女が従ってくることができるように、生活で子女に手本を示してあげるということです。このようなことを実践する、み旨に対する専門家にならなければなりません。(天一国経典『天聖経』第五篇 第四章 第三節 4)
人のために犠牲になるところにのみ、愛の道があります。 父母が子女を愛するときに、「私はお前を二十年間勉強させたので、お前は蕩減復帰の原則によって二十年間父母の犠牲になりなさい」とは言いません。
自分の代価を計算することなく苦労すればするほど、 そしてその苦労が極まれば極まるほど、子女は父母に対して愛の心をもつのです。その代価を要求しなくても、父母を愛さざるを得ないのが子女の本心です。
ですから、子女を愛する父母の前には不孝者がいないのです。 父母を心配させる不孝者はあり得ないのです。子女のために犠牲になる父母には孝行者が生まれます。一国の国王が臣下のために犠牲になれば、その臣下たちは、忠臣になるまいとしてもならざるを得ないのです。
ですから、愛の道とは、より苦労し、より骨を折れば折るほど、その価値が減少するのではなく、倍加するのです。 これが愛の道です。(天一国経典『天聖経』 第三篇 第三章第二節 14 )
兄弟姉妹の愛
父母の愛を中心として兄の立場に立った人は、自分を犠牲にしていきながら父母の代わりに弟や妹を愛するのが愛の秩序であり、伝統です。 兄という立場は、兄弟の中で一番苦労しなければならない責任がある立場です。 父母のために、兄弟のためにです。それが兄だというのです。
父母は子女を代表して、子女たちよりもっと苦労するのです。子女のために愛を中心としてそうするのです。その場は涙が交差しても、離れたいと思いません。涙を流しながらも付いていく道がそこにあるのです。(天一国経典『天聖経』第五篇 第三章 第三節 1/7)
兄弟がなぜ必要ですか。 男性は、妹や姉を見ながら、「母はあのように育ったのだなあ」ということが分かるのです。 母親が育っていく姿を見るのです。また女性は、兄や弟が育っていくのを見て、 「父はあのように育ったのだなあ」と、その姿を見るのです。
それが兄弟愛です。そのように育って一つになるのです。 ですから、兄弟を愛さなければなりません。(天一国経典『天聖経』第三篇 第二章 第五節 1 )

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