朝、寝床から起きて最初の言葉を天のみ前に捧げ、家を出る時も右足で第一歩を踏み出し、天のみ前に捧げなければなりません。普段の習慣がこのようになれば、侍義生活になるのです。このような観点で、皆さんは、原則的な基準で生活態度を取っていかなければなりません。(天一国経典『天聖経』第十一篇第一章第二節2)
統一教会では、信仰の天国を語りません。 侍義を語ります。侍ることによって救いを受けるというのです。知らずに侍ることができますか。 統一教会の教えを理解することは、問題ではありません。教えれば誰でも、すべて分かります。皆さんは、神様がいらっしゃることを一日に何回自覚しますか。
二十四時間の中で、何回神様がいらっしゃることを感じますか。 侍ることによって救いを受けようという人々が、二十四時間の中で、一、二時間程度侍れば、それでいいと思いますか。 空気よりも、差し迫って必要なのが神様です。 水よりも、差し迫って必要なのが神様です。 御飯より、もっと貴いのが神様です。(天一国経典『天聖経』第十一篇第一章第一節3)
信仰は神様に侍る生活、侍りながら共に暮らす生活です。その道を行かなければ安らかではありません。 すぐに体に支障をきたします。環境に支障をきたすというのです。信仰生活は、天に待って共に暮らす生活です。朝に日が昇り、お昼になり、夕方になって日が沈むのは変わりません。 千年、万年変わらないのです。 その軌道が狂うことになれば、すべてのものがずれていきます。愛の心、真の愛の道を訪ねていかなければなりません。
真の生命、真の血統を受け継いだ人は、神様の眷属になって、いつも神様と共に暮らすというのです。自然と共に喜びながら生き、自分が行き来する生活を喜んですることが、神様と共に暮らすことなのです。(天一国経典「天聖経』第八篇第一章第一節16)
これから、皆さんは、侍る生活をしなければなりません。今までは信じることによって救いを得る信仰生活をしましたが、これからは侍ることによって救いを得る時代です。 本来、人間が堕落しなかったならば、 神様に侍る道を行くのです。
侍るときは、皆さんの生活と心で侍らなければなりません。 皆さんがどこかに行くとき、必ず前には真のお父様が、後ろには真のお母様がいることを感じなければならず、左右と上下には必ず天が共にあることを感じなければなりません。(天一国経典『天聖経』第十一篇第一章第一節1)
皆さんは、今から、真の父母と一緒に暮らさなければなりません。 神様は祖父母の立場であり、真の父母は父母の立場であり、自分たちは子女の立場だというのです。 三代が共に暮らさなければならないという結論が出てくるのです。
「神様が「私」と共にあり、真の父母が私と共にあることを感じて暮らさなければなりません。 天一国経典「天聖経」第十一篇第一章 第三節 1 )
真の父母に侍る生活を実際にしなければなりません。 真の父母様は唯一であり、皆さんは大勢いるので、皆さんのすべての家に行って、侍りなさいとは言えないでしょう? しかし、皆さんは日常生活において、朝起きればまず、父母様に「ありがとうございます」と敬拝して (一日を始めるのです。
朝御飯を食べるときは、最初のさじを持ちながら、「父母様、先にお召し上がりください」と言い、夜、日課を終えて床に就く前には、「父母様、明日のために今晩は休み、また新たに出発します。 父母様もゆっくりお休みください」と言うのです。 このような生活が、侍る生活です。

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