愛とは本来、神様のものです。 しかし、いくら神様のものだといっても、神様一人では所有できるものではありません。 愛は必ず相対を要求するようになっているのです。 男性一人、または女性一人だけでは愛は成立しません。ですから、男性の愛のために女性が、女性の愛のために男性がいるということになります。醜い男性も、醜い女性も、愛の対象が現れることを願うのです。 それも、最も高い愛の対象であることを願います。
ですから、宇宙のすべての存在を見れば、みな主体と対象、プラスとマイナスのペアになっています。鉱物界、植物界、動物界、そして人間の世界もすべてペア・システムになっているのです。なぜならば、すべてがこのような相対関係を通じて真の愛を願うからです。
そして、この宇宙の中で絶対に一人では所有できないのが愛ですが、反面、相対が現れることによって、愛で連結されたすべてのものを所有するようになるのです。同じように、子女なしでは、子女を愛することのできる父母の愛は現れず、 子女に対する父母の愛の主人にもなれないのです。
ですから神様も、真の愛で愛するために、その相対として宇宙と人間を創造されたのです。このように子女の愛や兄弟の愛、夫婦の愛、そして父母の愛のすべてが、主体と対象が一つになることによって現れるのです。 主体と対象が一つになれば、これら二つは分けることができません。もし分けるとするならば、真の愛が破壊されるのです。本来、離婚という概念はあり得ないのです。
〇真の愛の本質
男性が愛を感じるからといって、それは自分によるものではありません。女性から始まったものです。また女性が愛を感じるからといって、それもまた自分によるものではなく、相対である男性に由来するものです。すなわち、愛の主人は相対です。ですから、愛を貫く思う以上にその相対を貫く思い、相対の前に感謝して、ために尽くしてあげなければなりません。
これが、祝福を受けた夫婦が永遠に共に暮らすことのできる根本の道理です。このように夫婦が、互いにため
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に生き、尊重し合い、真の愛によって完全に一つになるとき、これを通じて堕落したサタンの血統が根絶されるのです。
真の愛とは、横的な水平関係だけでなく、縦的な垂直関係においても成就されます。 真の愛の横的関係が、縦的にだんだんとその次元を高めれば、結局、その頂点に到達するのですが、その場が「真の愛の王」である神様の位置なのです。その位置では、すべてのものが結合し、抱かれ、愛と化し、そして花咲くことができるからです。
ですから、宇宙の中にあるすべての存在は、愛によって和合することを願い、愛の中で生きることを願うという結論になります。 愛のために生まれ、愛のために生き、愛のために死ぬということになります。
真の愛は人間のみならず、すべての万物も願います。ですから、万物の霊長である人間は、 神様の造られた万物を抱いて愛してあげるべき責任があることを知らなければなりません。万物たちは、このような主人を探しています。このような基準に私たち自身を照らしてみながら、自分を恥ずかしく思わなければなりません。
宇宙いっぱいに満ちたすべての存在は、それぞれの位置で相対と共に存在していますが、結局さらに高い愛の次元に吸収され、上昇するようになるという原則に従うのです。すなわち、鉱物は植物に、植物は動物に、そして結局は人間にすべて吸収されることを願うのです。
ですから、すべての存在は、捕まって食べられたり、吸収されたりして、さらに高い愛の次元に上がり、最後は愛の根源であられる神様の最も近い愛を受ける位置にまで進んでいくようになるのです。 このようにすべての存在が究極の目的地とするのは、正に真の愛の本質です。
ダーウィンの「弱肉強食」という言葉は、このような愛の論理によって再解釈されなければなりません。ですから、ありや微生物までも真の愛を願うだけではなく、自分を愛してくれる主人のところに行って死のうとするのです。このような原則から神様の愛の最も高い対象として造られた人間は、すべての万物を食べたり、所有したりできる立場にいるのです。
私たちは、すべてのものを食べ、所有したとしても、これらを造られた神様の真の愛の心をもって食べたり、
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所有しなければなりません。 万物の中で長い形のもの、例えば、うなぎや、魚が好きなみみずのようなものは、大概、薬材として使われるのです。どの段階であれ、すべてが食物連鎖しています。そうでなければ、宇宙は存立することができないのです。

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