このように、絶対的価値圏とは、まず相対を真の愛の主人格として立ててあげる真の愛を完成させるためのものです。したがって、私たちの生活の中で、利己的で個人主義的な思考や行為は、徹底的にその根を抜かなければなりません。これは堕落性の根と同じもので、すべての悪の原因を提供しています。 個人的次元の利己主義の行動や集団個人主義的行為も同様です。それは真の愛の絶対価値観の精神とは正反対の道です。他のために犠牲となって与えるのではなく、自分のために他を犠牲にし、自分の利益だけを追求する破廉恥な行為です。堕落によって引き起こされた人間の心と体の闘いの中で、巧みに掘り下げて、サタンが人類に植えつけた毒きのこです。
自分の栄達と慰めのため、見た目が美しいからといって、一度食べたら中毒に陥り、一生、努力しても抜け出すのが難しい悪の罠です。
〇すべては相対のために存在する
「前」と「後」のことを考えてみてください。 「前」という言葉を語るそれ自体が、既に「後」を前提条件として認めているのであり、「上」という言葉も「下」を先に認めてこそ成立する言葉であり、「左」は「右」を前提とする言葉です。 同じ論理で、「男性」という言葉も「女性」という存在が先にあってこそ成立するものです。
すなわち、男性は女性のために生まれたのであり、女性は男性のために生まれたと言うことができます。男性がいなければ、女性は必要ありません。同じように女性がいなければ、男性は存在価値がないのです。
結局、自分のために生まれたものは一つもないということです。 すべての存在物は、相対のために存在し作用するのです。相対的関係によって理想郷に向かうように創造されたという意味です。 人間の五官について考えてみてください。皆様の目は自分の目そのものを見るためにできていますか。目、鼻、耳、口、手、これらすべて
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は相手のために生じました。 そうであれば、この五官を総動員し、生命を維持して活動を続けるようにする力は何でしょうか。 真の愛の価値観を完成させようとする力です。私たちの五官は、真の愛を実践するために必要なものとして生じた道具にすぎません。
このように、自分のためにできたものは一つもないのです。相対のために与え、愛で犠牲となり、服従で愛の主人を完成させる生き方こそが、神様の創造理想にかなった生き方なのです。 相対のために創造されたのですから、当然のこととして、相対のために生きてあげなければならないのは天理なのです。そこから真の愛の絶対価値が創出されるのです。
〇生殖器は天国と地獄の境界線
皆様。天国と地獄がどこで分かれるのか御存じでしょうか。空中でしょうか、教会でしょうか、国家でしょうか。違います。 正に皆様の生殖器が、天国と地獄を分ける境界線になっているのです。 これが人類歴史上、天地を覆す最大の悲劇をもたらしたのです。
目の見えない盲人のように方向を失ったまま、生殖器をいい加減に使うようになれば地獄行きであり、反対にこれを神様の絶対愛の価値基準に合わせて使うようになれば、天国に行きます。誰がこの事実を否定できるでしょうか。疑わしければ、私が天理として発表した『原理講論』を熟読され、それでも疑いが解けなければ、天にすがって祈祷してみてください。 必ずその答えを得るでしょう。
レバレンド・ムーンの教えを受け、今や世界の若者たちがフリーセックスを撤廃し、絶対「性」、すなわち絶対愛を主唱する純潔運動が燎原の火のごとく広がっています。 フリーセックスが、自分の欲望とサタンを中心とした偽りの愛である反面、絶対愛は神様を中心とする真の愛なのです。 多くの文学作品とマスコミが、歴史的にフリーセックスを刺激し、そそのかしてきた傾向がありました。しかし、今からは政治家、財界人、文化人、言論人、宗教家、哲学者など、すべての分野の指導者が声をそろえて先頭に立ち、人類の「亡国病」であるフリー
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セックスを追い出さなければなりません。

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