祈祷は、ほかの人のためのものです。自分のためのものではありません。 自分のためにする絶対に通じません。教会の問題、町の問題、世界の問題、このような問題を解決するために努力する祈祷をし、祈祷したならば、必ず行動しなければならないのです。
村のために祈祷したのなら投入しなければなりません。 祈祷だけして何をしようというのですか。 行動しなければなりません。 祈祷した分、行動しなければならないのです。(14-11-11)
家庭教会がなければ、故郷に進むことができず、故郷に進むことができなければ、祖国に進むことができず、祖国に進むことができなければ、天国に進むことができません。 家教会をつくれば、故郷がつくられ、祖国がつくられ、世界がつくられ、天国がつくられます。
どんな人よりも愛して、一つになるようにしなければなりません。 霊界の人や、世界の人や、すべての存在を一つにしなければなりません。 愛によって一つになるようにしておかなければならないのです。そのようになれば、家庭教会を中心として、小さな太陽、 小さな星のようなものが昇るのです。
一つ出てきて、二つ出てきて、真っ暗なこの世の中に、光り輝く天国が開門されるというのです。その時には、この地上に、太陽のような神様がお出ましになれるのです。
私たち統一家は、現在の立場にとどまっているのではなく、発展しなければなりません。国家の運勢をもち、世界の運勢をもって生まれる子孫を残さなければなりません。結婚は、新しい民族、新しい国家を形成するために、そのようにできる人材を模索しようとしてするものです。
今まで世の中の人々は、自分のために結婚すると考えました。しかし、統一教会では、民族のために、世界のために結婚するのです。 私たちの家庭は、歴史路程に存在した数多の家を救える救世主の家庭です。
その立場は、世の中のすべての人々のために減復帰して、霊界にいる霊人たちと後代の子孫たちのために、代わりに道しるべとなり、行くべき道を開いてあげる立場だというのです。そのような救世主の立場に立つために、「私」は生きているのだと考えなければなりません。(一九七〇)
氏族メシヤと家庭教会
「七・一節」を宣布するときに、「氏族メシヤの登録をしなさい」と言いました。家庭的メシヤを越えて氏族メシヤになるのです。
氏族とは、父と母、夫と妻の二つの姓氏を合わせたものです。二つの姓氏を合わせた氏族のメシヤです。メシヤとは、真の父母のことを言います。
一人の個人的な姓氏だけでは、メシヤになることはできません。 家庭的メシヤは氏族メシヤ候補であり、氏族は二つの姓氏が合わさったものなので、一つになれば氏族メシヤに上がっていくのです。
その次に、氏族だけではいけません。民族編成をしなければなりません。民族は、十二の氏族が入っていかなければなりません。 十二支派が一つになってこそ、国の形態が備わるのです。(二〇〇三・七・二)

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