「私」が父母に会いたいと思うのと同じように、父母は、自分の兄弟を父母よりもっと愛してくれることを願うのです。
「父母に孝行をする」と言いながら兄弟同士でけんかをすれば、 その孝行は成立しません。
父母の心は、自分のために尽くしてくれようとする思いよりも、兄弟同士がもっとために生きることを願うのです。 父母を世話することができなくても、 「お母さん、少し待ってください。私は弟と妹を愛してきます」と言えば、「この子は、見どころのある子だ」と思うのです。
兄弟を父母以上に愛そうという人は、天国で永遠に暮らせる人です。 兄弟を父母のように愛せない人は、ここから外れるのです。その道理の根本を悟ってみれば簡単です。 それが分からずに、今までできなかったのです。
私たち食口同士で一つになれるか、なれないかということが問題です。 父母の前に孝行できない立場に立ったならば、父母のために自分が精誠を込めたものを、父母の代わりに自分の食口のために与えなさいというのです。そのようにすれば、父母に孝行した以上のものとして天が受け入れます。そのような人は必ず祝福を受けるのです。(天一国経典「天聖経』第十一篇第四章 第二節 2)
家庭には父母がいて、その膝下には多くの子女たちが育っています。その多くの子女たちには、各自の個性があります。様々な個性をもつ兄弟たちが自分を主張できるのは、父母の愛と根が同じだからです。そのような主張は、いくら幼い弟と妹の主張だとしても、兄弟たちが無視できません。
なぜ無視できないのでしょうか。父母の愛を中心とするからです。大きくても小さくても、父母が共にある立場では、いくら弟と妹の立場にあっても、その弟と妹は父母の愛と一つになった立場にいるので、彼が主張することを認めなければなりません。
また、それが歓迎されるように動くのが、家庭生活なのです。(天一国経典『天聖経』第五篇第三章 第三節 135)
兄弟は、多ければ多いほど良いのです。 兄弟がいくら多くても、御飯が茶碗一杯分しかなければ、兄弟で分けて食べなければなりません。 御飯が茶碗一杯しかないからといって、争ってはいけません。 兄弟が多くて大変な中で暮らしていても、「私は御飯を食べなくても、お姉さんにあげたい。 弟と妹にあげたい」という愛の心をもてば、いくらでも良いというのです。
良い服は自分が着て、悪い服は弟と妹にあげますか。 サタン世界と反対に考えなければなりません。 統一教会の祝福を受けた家庭の子女たちが考えるのは、サタン世界とは違わなければならないのです。(天一国経典「天聖経』 第十一篇 第四章 第二節 5)
家庭は愛の学校
人生において、 家庭は、最も重要な愛の学校です。 子女たちは、家庭において父母だけが行うことのできる愛の教育、情緒教育を通して、心情の深さと幅を育てられます。これが子女の人格をつくる礎石となります。
また、家庭は、子女に美徳と規範を教育する学校です。人は、このような情緒教育と規範教育を受けた土台の上で、知識教育、体育、技術教育を受けなければならないというのが天道です。
父母は、子女に真の愛を施す真の父母になると同時に、真の師となって心情教育と規範教育を正しく行うようになっています。たとえ父母が真の師であることを自覚できなくても、子女は、父母からありのままの姿に似て学ぶようになるのです。 父母の役割は、このように重要です。
子女は、父母が与える真の愛と父母の愛の生活に似ていきながら、 愛の人格が形成され、霊性が啓発されていくのです。(天一国経典「平和経』第五篇17)

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