11/29(水)957p1行~959p最後まで

〇リベカの模範的事例

聖書に出てくるこのような特別な女性の一人がイサクの妻リベカです。ヤコブとエサウの母である、イサクの家庭のリベカは、アダムの家庭におけるエバと同じ立場にいました。

しかし、リベカは、エバとは違って神様の摂理を理解し、次子ヤコブを協助して、長子エサウが受けるべき祝福を次子が代わりに受けるようにしました。 長子エサウはヤコブに祝福が降りたことを知って、カインがアベルの命を奪ったように、弟ヤコブの命を奪おうとしました。しかし、リベカの母子協助とヤコブの努力によって、結局この二人の兄弟は暴力を行使することなく抱き合って和解しました。

この和解は、神様の摂理上、重要な勝利となりました。 しかし、それは象徴的な血統転換を意味するにすぎなかったのです。実質的な血統復帰は、腹中で行われなければなりませんでした。これが正にタマルに関する逆説的な物語です。リベカのようにタマルもまた、堕落したエバの立場にあったことを理解すると、彼女の血統であるユダ族の中からイエス様がお生まれになったその理由を理解することができます。

皆様も、聖書でタマルが生んだ双子の息子にまつわる物語を読まれたことと思います。 彼女は舅であるユダと関係をもち、双子の息子ペレゾとゼラを身ごもりました。聖書には、その二人の息子は母の腹中で長子権をかけて闘ったことが記録されています。

タマルが出産するとき、ゼラの手が母のおなかの中から先に出たのですが、産婆がその手首に赤い糸を結ぶとその手は再び母の腹中へと入り、手首に赤い糸を結んでいないペレツが先に生まれました。このようにしてカインとアベルの位置が、生まれる前の母胎で転換されたのです。 イスラエル民族がメシヤを迎える選民としての摂理は、正にこの時から始まったのです。

伝統的な道徳観から見れば、リベカとタマルに関する物語は多くの疑問が提起される内容です。それにもかかわらず、なぜ神様が彼女たちに祝福を与えられたのかという問題は、今日まで神学界の謎となっています。実は、

957

神様はイエス様の誕生のために、サタンから神様の血統を取り戻す必要がありました。このように探し立てた純潔で真の愛の血統の基盤の上に、イスラエルの国は成長し始めました。イスラエルという言葉は、勝利を意味します。この二人の女性の勝利によって、血統の復帰がなされたのです。

〇マリヤの生活と危険な路程

それからユダの勝利圏は代を重ねながら発展し、氏族、社会、国家基準へと拡大していきました。 正にこの血統を受け継いで、二千年後のイスラエルにマリヤが生まれたのです。 マリヤには、しかるべき蕩減条件を立てて長子権を復帰することによって、家庭、氏族、国家基準でカイン型とアベル型を一つに結ばなければならない責任がありました。 マリヤは他の人たちの目から見れば、彼女の親と、彼女が婚約した男性ヨセフを裏切ったことになりましたが、神様の命令を受けてイエス様を身ごもりました。

その当時は、結婚していない女性が他の男性の子女を身ごもるようになれば、石で打ち殺されるのがならわしとなっていました。しかし、アダムの立場に立っていたヨセフは勇敢に立ち上がり、婚約者マリヤを捨てることなく保護しました。マリヤの信仰とリベカとタマルの貢献で、サタンはマリヤの腹中にいるイエス様に対し、所有権を主張できなかったのです。

ですからイエス様は、神様の完全な直系の血統である真の息子の位置でお生まれになりました。イエス様は堕落した血統を善の血統に転換した後に生まれた、神様の最初の真の息子でした。

正にその理由で、神様のひとり子として生まれたイエス様は、すべての聖人の中の聖人であり、神様の真の血統の先祖となるのです。イエス様の誕生は、国家的次元の旧約時代を終結させ、世界的次元の新約時代を開門する意味があります。マリヤは、堕落したエバを復帰した位置まで進むべき立場で、アベルの位置に立っていたイエス様とカインの位置に立っていたイエス様の従兄である洗礼ヨハネを一つにしなければなりませんでした。 この二人が一つになることは、イスラエルの民がイエス様をメシヤとして受け入れるための決定的な鍵だったのです。

958

洗礼ヨハネは兄の立場でした。 多くの人々が彼に付き従い、広く尊敬される位置に立っていました。イエス様が弟子たちに語ったように、洗礼ヨハネの使命は、「来られる主の道をまっすぐにするためにエリヤが先に来る」という旧約聖書の預言を成就することでした。

それでは、神様の摂理を中心として見たときに、いったい洗礼ヨハネは使命を果たしたのでしょうか。 ルカによる福音書を見ると、洗礼ヨハネはエリヤの権勢と使命をもって来たとあります。 しかし、洗礼ヨハネは自らエリヤであることを否定し、ヨルダン河でイエス様に洗礼を施すときに、天からはっきりとした啓示を受けたにもかかわらず、イエス様がメシヤであることを疑ったのです。また、その当時の人々の目には、洗礼ヨハネは宗教指導者として非常に尊敬される人物である一方、イエス様は貧しい大工の家に生まれた私生児として映ったのです。したがって、洗礼ヨハネの協力なしには当時のユダヤ人たちがイエス様を信じてついていくことは不可能なことでした。しかし、イエス様はたった一人で、御自身がメシヤであることを宣布していかなければならない困難な道を歩まれたのです。

洗礼ヨハネは、イエス様がイスラエルの宗教指導者となることができるように助けるべきでした。もし、その当時、洗礼ヨハネがその使命を果たしていたならば、アベルの立場にあるユダヤ教とカインの立場にあるイスラエルの国がイエス様を中心として一つとなっていたでしょう。

〇果たされなかった夢

このように、カイン的存在とアベル的存在が一つとなっていたなら、そのときに「小羊の婚宴」のための基台が造成されたのです。イエス様は人類の真の父となり、新婦は人類の真の母となるはずでした。イエス様の福音は、七年以内、すなわち彼が四十歳になる前に、世界的に急速に伝播され、アジアとローマまでも取り戻すことができたのです。 究極的にイエス様は、新婦と共に、個人天国、家庭天国、氏族天国、国家天国を完成することができたはずでした。

959

コメント