真の夫婦は、神様の真の愛を抱き、合一した希望をもって未来の世界に向かって進まなければなりません。子女の誕生も家門の繁栄もこの基台の上で可能になるのです。夫婦の真の愛が生活の環境圏を越え神様の真の愛理想と一致する家庭を完成することが究極的な願いになるのです。(天一国経典「平和経」第四篇7)
共に侍り、共に学ぶ
天国とは準備したことをもって誇るところであり侍る生活をしたことを誇るところです。それではその天国とはどのような人が行くところですか。主を信じて恵みを受けようという人、恵みを前面に立てていく人が行くところではありません。天国は侍るために心情的に準備する生活をした人が行くところです。準備する期間に死んだとしても侍る生活を残して喜んで逝くことのできる人が行くところです。そこに復活があります。
侍るための準備をしたあとには侍る生活をしなければなりません。準備する目的は侍るためなのです。侍る生活をするためです。
侍る生活はどのようにするのでしょうか。皆さんの環境をよく見てください。生活の内幕は現れません。どのように侍る生活をするのかということが私たちが生きる生活の中で考えるべき重大な問題です。(天一国経典『天聖経』第七篇第一章第四節4)
統一教会は、生活の中で生きた神様を信仰の対象、侍る対象とし神様の愛から結束と統一を主張していこうというのです。これが統一教会の出発の動機です。(天一国経典『天聖経』第八篇第一章第一節2)
神様に侍る場には礼服を着て参席しなければなりません。着る礼服ではありません。「心情の礼服」です。心からみ言とともに賛美とともに感激した心情が流れ出てくるなら天は皆さんを通して役事されるのです。
堕落した人間がエデンの園から追放されるとき涙を流しながら追い出されましたが、皆さんは涙を流すとしても喜びの涙を流しながら笑顔で神様に出会わなければなりません。(天一国経典『天聖経』第十一篇第二章第一節3)
世の中は故郷を失った世界です。故郷を失った民の世界版図となったこの人類をどのようにまとめて帰郷させるのでしょうか。これを御存じの神様がメシヤをこの地に送り故郷を失った民を帰郷させるのが天の摂理です。
帰郷したのちには宗教でも何でもすべて必要ありません。父母を愛し慕いながら涙を流すのが礼拝の中の礼拝でありすべてのみ旨の完成です。
千万回の天地開闢があるとしても祖父、祖母、母、父、息子、娘の三代が一つになり金城鉄壁のように固く団結しそこに神様を核として迎えれば、私たちがいる所はどこであっても天国を実現できる一つの種になるのです。そのような存在になるのです。
これは神様の愛の種、神様の生命の種であり血統の根源だといえるのです。これを探し求めていかなければなりません。そのようにしなければ地上天国、平和の天国、幸福と自由の世界という願いはあり得ません。(天一国経典『天聖経』第九篇第二章第四節14)
統一教会の教会員はアダム家庭から氏族、民族、国家、世界、地上天国世界になるときまで、神様に侍って共に一つになる式として敬礼式を世界に拡張しています。そのため一週間聖餐と向き合える時間を何よりも希望の時間として待ち望まなければなりません。
この時間が神様に侍る時間であり神様と直接関係を結ぶ時間であることを知り、世界の祝福家庭が重要視し伝統として守っていかなければなりません。(天一国経典『天聖経』第十一篇第二章第一節22)

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