5/4(日)80p14行~84p1行

真の指導者になろうとすれば、真の父母の心情をもち、自分が責任をもった舞台で内外の作戦を立て、その舞台を内外の作戦によって消化していかなければなりません。そのためには、様々な材料を収拾して研究し、他の人よりも眠らずにもっと努力しなければなりません。

その村の人々にどのような刺激を与え、その人々にプラスの要件をどのように残してあげるかによって、その村が引っ張られてくるか、引っ張られてこないかということが決定します。 (天一国経典「天聖経』第九篇 第三章 第二節3)

カイン・アベルが一つになる勝利的基盤が広がることによって、父母がこの地上に臨在できるのです。 父母が現れることによって、私たちが福を受けることができ、天国の新し出発ができます。

「私」独りではなく、父母に待って天国に入らなければなりません。統一教会で言えば、既に父母は現れましたが、カイン・アベルの世界的蕩減条件において、祝福家庭の基盤の上に、このようなものができていないというのです。

アベル的家庭の代表が勝利して、天の福を受ける者として町内に行けば、その町内の人たちが涙を流しながらひざまずき、「世の中は滅びても、あなたの家庭は福を受けなけれ「ばならない」と言えなければなりません。 悪の世の中にいる町内の人たちがすべてひざまずき、あがめられる家庭になってこそ、長子の位置に立つのです。(天一国経典『天聖経』)

神様をあがめる人は血を流さなければならず、神様を愛そうとする人は涙を流さなければなりません。目から涙が乾いてはいけません。そして、神様を探し求めていこうという人は汗を流さなければなりません。

それで、父母の心情で僕の体を用い、人類のため、アベルの立場で犠牲になって奉仕し、精誠を尽くして与えなさいというのです。そのように与えながら誇るのではなく、もっと良いものを与えたいという思いをもち、恥ずかしさを感じながら与えなさいというのです。それが「神主義」です。(天一国経典「天聖経』第四篇 第三章 第三節 23 )

皆さんの心で、 愛の鐘の音を聞きなさいというのです。そのようになれば、「私の口は愛の言葉だけを語るようになっていて、そうでない言葉は語らないようになっている」と言うようになるでしょう。 愛の言葉でないものは、耳が聞かないようにし、愛でないものは目が見ないようにするのを感じなければなりません。

そのように生きれば、間違いなく皆さんは、遠からず神様の愛に酔うことができる境地に入るでしょう。霊界と直接通じ、家庭教会に関する難しい問題を、上手に、無意識のうちに、たやすくすべて解決できる主人公になります。 三百六十家庭のどんな問題でもすべ解決できる神様を身代わりする主人になるでしょう。

私がそのような愛の場に入っていけば、話をしないようにしようとしても、言葉が出てきます。 本当に不思議なことがたくさん起こります。ありとあらゆることが起こるのです。自分が恐ろしい人であることを感じるようになります。このように、愛において、 すべてのことが決定されるのです。(一九七九・一二八)

家庭教会に行く時、義務的に行かないでください。 愛の心に満ちあふれて行かなければなりません。自分の息子、娘が監獄に入っていたり、自分の愛する人が監獄に入っていたりすれば、「私は監獄に訪ねていかなければならない」と考えて行くのではなく、我知ら監獄に向かうのです。そのような心情で行かなければなりません。

そのような愛の心をもって、愛の鐘の音を聞きながら、「私は行く」と考えて行くのではなく、自分も知らないうちに、行かざるを得なくて行く所が家庭教会です。

その家庭教会は、私を滅ぼすのではなく、私を天国の愛、神様の愛の相続者にするためのです。そのようにするために神様が私を導いていることに対して、感謝しなければなりません。(一九七九二〇八)

コメント