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神様も同じです。 この世界をすべて復帰したとしても、家庭がない神様は喜ぶことができません。結局、家庭がなければならないというのです。(天一国経典『天聖経』第五篇 第一章第四節 1 )

ある人は、「会社に行っても愛を探すことができる」というかもしれませんが、違います。会社は物質を通して利益を得ようと連結された所です。また、政治の分野は、人同士が自分の権益を得る所です。 そして、宗教も、神様を見いだすありとあらゆる方法があり、それぞれの宗教で異なる方法があります。 それで神様を見いだすことはできますが、愛は見いだせません。真の愛は、家庭で探さなければならないのです。

いくら会社に出ていってお金をたくさん稼いでうまくいったとしても、愛する家庭のない人は不幸な人です。 また、いくら政治の分野に進出して大統領になったり、国会議員になったりしたとしても、帰ってきて愛することのできる愛の家庭がなくなるときには、不幸な人です。

有名な牧師になり、立派な霊的指導者になって教会の信者から愛を受けるといっても、その愛だけでは駄目です。その愛よりも深く、さらに中心的な愛の場を求めようとすれば、それは家庭しかありません。(天一国経典『天聖経』第五篇第一章 第四節 10)

統一教会では、「神様が人間の家庭の中で、人と一緒に喜んで暮らすことを願われる」と言います。私たちが愛を授け受けするのを学ぶ所も、調和の喜びを創出し、育成し、体値する所も正に家庭なのですが、これが信仰の核心です。

家庭的な愛の養育なしには、幼児期と青年期を通して、いかなる人も配偶者や子女を愛する能力を啓発できないのです。 天一国経典『天聖経』第五篇第一章 第三節 9 )家庭における日常生活は、正分合作用を具現します。すなわち、朝、お互いの仕事のために別れるときも喜びで別れ、夕方再び会うときも喜びで会わなければなりません。

また、家庭に帰ってきては、その日にあったことを妻と子女たちに話し、相談して、誤ったことは直すようにしなければなりません。家庭全体を愛で結びつけて、笑顔で結びつけなければならないのです。

子女たちが、「うちのお父さんは素晴らしい! うちのお母さんは素晴らしい! お父
さんとお母さんが互いに愛し合うのを見ると、本当に素晴らしい!」と言って、誇ることのできる家庭が、子女たちの安息の住まいです。ほかにはどこにも行きたくないと思うほど、永遠の喜びの根拠地となり、自慢の根拠地となる夫婦にならなければなりません。(天一国経典「天聖経』第五篇 第一章第一節8)

私たちが遠く離れた家族を慕うのは、そこに、「ために生きる愛」があるからです。 父母の愛、兄弟姉妹の愛、妻子と隣人、親戚の愛が、一つ一つ宿っている所です。 このすべての関係と縁が、「ために生きる愛」 によって結ばれていて、そのすべてを抱きたいと思う、そのような温かい所です。そこに、解放された自らとして堂々と帰り、胸いっぱいに自然を抱き、家族や親戚を愛しながら歓喜の歌を歌うことが、家族のもとを離れた旅人の郷愁の思いであり、希望でしょう。

故郷を追われ、本郷との心情の根を失ってしまい、家族に会いたいと思っても帰ることができず、永遠の孤独の敗亡者として独り流浪しながら生き、地獄に行くしかなかった身の上が、正に堕落の末裔である人類だったというのです。

しかし、人類は今、後天開闢時代を迎え、このような足かせの沼から解放され、夢にも忘れることのなかった故郷を訪れ、家族に出会える道が開かれました。人類にとって、これほど大きな祝福の日が、またとあるでしょうか。アダムとエバが堕落によって失ってしまった本然の家庭を、私たちが再び探して立て得る天運の時が到来したのです。(天一国経典 『天聖経」第十三篇第一章第二節12)

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